2015年11月2日月曜日

NYC

ハロウィン翌日の渋谷で子どもたちがゴミ拾い 大人たちにモラルを問う声

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1511/01/news019.html



この件に関しては、この前も書いたけど


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『踊る阿呆に見る阿呆』

https://sauzand.blogspot.com/2015/10/blog-post_31.html

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“日本のハロウィーン”として扱われているけど


ハロウィーンに大人が仮装するのは、日本だけじゃないんだよね。


アメリカのNYCでも、大人が仮装して盛り上がっていた。


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『NY 全米最大のハロウィーンパレード NHKニュース』

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151101/k10010290781000.html


『ニューヨーク ハロウィン』

http://www.newyork.jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF-%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3/

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今時、子供だけのイベントなんて考えは古いと思う。


マンガやアニメ、ゲームは子供が楽しむものという考えと同じくらい古い。


ゲームなんかは、むしろ大人向けのゲームの方が多いし


世界で最も市場の大きい北米では、20代以降の大人がメインの客層。


時代は変わっているんだよ。



今の渋谷は、NYCのタイムズスクエアと比較されるぐらいの場所。


今回のような盛り上がりは、当然のように思える。


ただ、確かにゴミの問題に関しては、各個人がしっかり処分するように心がけてほしい。


こんなことで、せっかくの楽しいイベントが規制されてほしくないからね。


でも、これだけゴミが多いということは


ゴミ箱のような、処分できる場所の設置が全然足りていないんじゃないの?


人が集まればゴミが出るのは必然なのだから


こういう大きなイベントのある日は、捨てられる場所を多く用意しておくべきじゃないかな。

2015年10月31日土曜日

踊る阿呆に見る阿呆

過熱する日本のハロウィンに西川貴教さんが冷静なツイートを投稿 Twitterでは多くの賛同の声

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1510/31/news026.html



同じ阿呆なら踊らにゃ損々。


こんな言葉が、昔から日本にはある。


また、『ええじゃないか』という騒動も江戸の時代に起こったりしていた。


少し違うかもしれないけど、『百鬼夜行』というものもある。



日本人はお祭りが好きで、各地に様々な種類のお祭りがある。


ハロウィーンやクリスマスなんかの、海外由来のイベントも同様で


本質は、楽しみたいということ。



ちなみに欧米でも、ハロウィーンの時期には、大人も仮装したりするけどね。


カリフォルニアディズニーリゾートや、フロリダディズニーワールド


ディズニーランドパリなんかでは、毎年凄く盛り上がっているみたいだし。



本来の文化は、こういう感じじゃないっていう意見も分かるけど


海外での日本文化も、日本人から見たら妙に滑稽に見えたり


ちょっと違う感じになっていることが多い。


でも、それでも良いと思う。


その国では、そういうスタイルで受け入れられているんだから。


「本来はこういうスタイルなんだから、そんなの間違っている。こうするべきだ。」


なんて言ったって、その国や人々に受け入れられなければ意味がない。


和食を始めとした、日本の文化、製品も


その国や人々の価値観にあったスタイルにするというのが常識。


そういった多様な価値観の存在を許容できなければ


グローバル化なんて夢物語に過ぎない。


日本人同士の価値観が許容できないのなら


異なる人種、文化、宗教の価値観なんて許容するのは至難の業。



こういうのは、違和感を感じても何も言わず、水を差さずに見守るのが優しさ。


経済効果もあるみたいだしね。

2015年10月22日木曜日

BSプレミアム

大人がハマる「Eテレ」 “教育”を隠れ蓑にした前衛的な番組が魅力

https://www.oricon.co.jp/news/2060991/



NHKは、「総合」や「Eテレ」も色々と良い番組はあるけど


個人的には、「BSプレミアム」が一番。


「世界ふれあい街歩き」や「体感グレートネイチャー」


「プレミアムアーカイブス(プレミアムカフェ)」、「美の壺」、「J-MELO」


「コズミックフロント」、「ワイルドライフ」、「グレートサミッツ」など、面白い番組が多い。


「BS1」も、「COOL JAPAN」や「BS 世界のドキュメンタリー」なんかが面白くてよく観てる。



上記の番組以外にも、「ザ・プレミアム」や「BS1スペシャル」を始めとした


秀逸な単発番組も数多く放送されているから、定期的にチェックしている。



「Eテレ」は、「地球ドラマチック」や「100分de名著」


「スーパープレゼンテーション」とかをよく観てる。


「総合」は、「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代」、「ダーウィンが来た」とか。



自分の場合、NHKの他、民放のBSや


「ヒストリーチャンネル」、「ナショナルジオグラフィックチャンネル」


「ディスカバリーチャンネル」、「アニマルプラネット」なども


面白い番組があったら観ていたりする。


つまり、テレビっ子です(笑)


流石にリアルタイムで観るのは無理だから、ほとんど全部録画したモノを観ているけど。



テレビの強みは、やっぱり高品質な映像と音声


そして専門家の解説で構成された秀逸なコンテンツにあると思う。


ネットでも、情報はいくらでも得られるけど、断片的だったり、不確かだったりする。


それに、フルHDで1時間超の映像は、ネットでは中々観られない。


観られたとしても、有料だったりね。


今のところのネットの強みは、「速さ」と「汎用性」のみかと。


映像コンテンツの面では、まだまだテレビには追いついていないと、個人的に思う。


情報は溢れているけど、クオリティは、まだまだ低い。


だから、特定のメディア媒体に偏らずに


本や新聞、雑誌や、テレビ、そしてネットなどの複数のメディア媒体を


上手く活用していくのが良いと思っている。



テレビはオワコンなんて言われていたりするけど、まだまだ面白い番組は多い。


むしろ、個人的には今の方が秀逸に感じるかも。



『【速報】池上彰がヤバすぎる情報収集術を公開!!ここまでやってたのかよ!!!』

https://newspicks.com/news/702301

2015年10月21日水曜日

BACK TO THE FUTURE 2

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の未来が来た!ドクから感動のメッセージ

https://otakei.otakuma.net/archives/2015102101.html



そういえば、今日がその日だったんだっけな。

2015年10月15日木曜日

超絶美人

オリックス中島裕之パパ婚 相沢紗世9月に女児出産

https://www.nikkansports.com/baseball/news/1552840.html



個人的に、この人よりも綺麗な女性タレントを知らない。

夢を持つ

「学校の勉強なんて役に立たないじゃん!」と言われたら、どう諭す?




「将来、役に立つから」とか、「後で後悔するから」なんて言われても


ピンと来ないんじゃないかな。


そもそも、“勉強すること”が大前提になっていることがおかしい気がする。


何かになったり、何かをする為に必要だから勉強をするわけで。



人生において、特に大切なのは、“目的”と“目標”だと思う。


目的や目標も無く、ただやるだけでは、モチベーションも上がらない。


明確なビジョンを持つことが何よりも重要。


“目標”には、2つの種類があると思う。


「長期的な目標」と「短期的な目標」の2つ。


「長期的な目標」は、俗に言う“夢”のこと。


何らかの事を成し遂げたいとか、何らかの職に就きたいとか。


「短期的な目標」は、その“夢”を達成するために必要なハードル。



例えば、「良い大学に進学すること」を長期的な目標にした場合


「テストの成績で学年トップになる」とか「大学の過去問で良い点数を取る」とかが


短期的な目標になる。



長期的な目標と、短期的な目標の、どちらが欠けてもいけない。


長期的な目標だけだと、単なる夢見がちな人だと思われてしまうし


短期的な目標だけだと、行き当たりばったりな人だと思われてしまう。



今回のケースの場合、長期的な目標を持てていないんだと思う。


つまり、“夢”がない。


「将来、何になりたい」とか、「将来、何をして生きていきたい」といったビジョンがない。


だから、勉強をすることの意味が分からなくなる。


個人的には、こういったビジョンを持てない事の方が問題だと思っていたりする。



よく、「好きなことを仕事にする」という言葉に対して


“現実”という言葉を使って否定する人を見かける。


だけど、自分がいつも思うのは


こういったケースで使われる“現実”という言葉は、全く“現実”ではないということ。


単なるネガティブな憶測に過ぎなくて、それを“現実”と呼んでいるだけなんじゃないかと。


「好きなことを仕事にしたら好きじゃなくなる」という意見も結構見るけど


それは、好きだと思い込んでいただけで、実はそこまで好きじゃなかっただけなんじゃないかと。


「夢を追って挫折したら・・・」という意見も見るけど、別の夢を追えばいいだけじゃないのかな。


夢って、一つしか持っちゃいけないわけではないよね。


だから、色んな物事に興味を持つことが大切。


まず、ジェネラリストになること。


その上で、自分のやりたいことを見つけて、その分野のスペシャリストになる。


単なるジェネラリストだと、器用貧乏だと思われる可能性があるし


単なるスペシャリストだと、専門分野以外は無知だと思われる可能性がある。


だから、リベラルアーツ教育というものが


ハーバードを始めとした、世界中の大学で重要視されている。



勉強はつまらないけど、マンガやアニメ、ゲームは面白い。


だから、勉強は言われてもあまりやりたくないけど


マンガやアニメ、ゲームには自ら積極的に触れる。


こういう人は少なくないと思う。


知識や教養は、体験によって吸収され、育まれていくものだと思う。


しかし、日本の現在の学校教育は、体験的な形式ではなく、主に講義形式。


だから退屈に感じたり、興味を持って積極的に取り組めなかったりするのでは。


ひたすら記憶の日本史なんかは、退屈な授業の典型じゃないかな。


しかし、アニメやゲームの影響で、日本史に興味を持った人(主に女性)が大勢誕生した。


同じ日本史なのに、なぜここまで違うのか。


この違いにこそ、勉強に興味を持てるかどうかの答えが隠されている気がする。



長々と書いたけど、要点としては


まず、明確なビジョンを持つ。


長期的・短期的目標を持つこと。


何かになりたい、何かをしたいといった“夢”を、出来るだけたくさん持つこと。


そのためには、色んなものに興味を持つこと。


きっかけは何だっていい。


マンガでも、アニメでも、ゲームでも、映画でも。


そして、何よりも楽しむこと。


楽しくなければ、興味を持つことは難しいし、モチベーションも上がらない。



今回のケースのような質問をされた場合、言葉で説き伏せるのではなく


同じ目線に立って、一緒に意味を探してみるのが良いと思う。


そして、一緒に色々な体験をして、一緒に楽しむ。


子どものことを想っているのなら、そこまでするべき。


勉強とは、ある意味“発見と出会い”。


文系(Art)の学問を学ぶということは、人間について学ぶということ。


理系(Science)の学問を学ぶということは、万物について学ぶということ。


マンガやアニメ、ゲームなどの娯楽も、そういった学問から生まれたもの。


勉強とは、そのルーツを探す、発見と出会いの旅と言えるかもしれない。


勉強するのに遅すぎるということはない。


今、学びたいと思ったのなら、今からでも学び始めればいい。



しかし、子どもに、その魅力は伝わりづらい。


だからこそ、“夢”を持つことで、勉強するきっかけになるはず。


何を勉強する必要があるかは、その“夢”によって異なるが。


ともかく、あくまで大前提は“夢”という名の長期的な目標。

2015年9月27日日曜日

誕生日

今日は俺の誕生日でした。



この数年間は、本当に多くのことを学びました。


それまでの自分とは比較にならないほど成長できたと感じています。


これまで関心の無かった物事に、関心が持てるようになり


文字通り視野が広がり、純粋に“考える力”が鍛えられたと思います。


また、“教養”の大切さを知り、日々実感しています。


これからも、これまで以上に学び続けたいと思っています。



現在、作りたいモノがたくさんあります。


作り手として、クリエイティブな精神を忘れず


知的好奇心と向上心を忘れず、作り続けていこうと思います。

2015年9月10日木曜日

それは愛じゃない

くみっきー、貧しかった幼少期を告白 結婚相手に求める条件とは

https://mdpr.jp/gal/detail/1520900



言っちゃ悪いけど、自分の親が、そういう人間だっただけではないかな。


子供の前でも、お金で喧嘩してしまうような親だったということでしょ。



貧乏な家庭で育ったことに関しては、お気の毒だけど


その反動で、お金しか重要視しないというのは、結構危険だと思うよ。


お金持ちの人は、色々な意味で賢いから、金だけで判断して


悪い男に騙されたりしてしまうような不幸なことに、ならなければいいけどね。



正直、お金ありきの“愛”って“愛”とは言わない気がするんだけど。


“愛”って、打算や利害無しの感情でしょ。


“無償の愛”という言葉もあるけど、掛け値なしで


この人のためにしてあげたいと思うのが“愛”じゃなかったっけ?


お金ありきだと、“愛”というよりも、ただの“サービス”じゃない?



愛っていうのは、例えば


「彼は貧乏だけど、彼のことを本当に愛しているから、私が支えていきたい」


とか


「彼は、夢を追って、一生懸命ミュージシャンを目指している。

 そんな彼を支えてあげたい」


というのを愛というんだと思っていたんだけどな。



「FF」シリーズの作曲家として有名な植松さんも


スクウェアに入る前は、レンタルビデオ屋でバイトしながら、作曲家を目指していて


その時、すでに現在の奥さんとなる恋人と付き合っていた。


奥さんは、定職に就いていたから、食うのには困らなかったらしい。


しかも植松さんは、そんな奥さんのボーナスをアテにしていたり


結婚まで考えていたとのこと。


詳細は↓のインタビュー動画で、植松さん本人の口から聞ける。

愛の形はそれぞれあるとは思うけど


こういうのを本当の意味での“愛”というんじゃないかなと。


植松さん本人が言っていた通り、夢を追いつつも、将来のない毎日を過ごしながら


奥さんに支えられていた。


奥さんがいなかったら、現在の植松さんはなかったかもしれない。


そういった大きな影響を与えるような存在こそ、最愛の人と呼べるんじゃないかな。


“内助の功”という言葉もあるように。



なんだか、お金が大事と言いながら


自分で、そのお金を頑張って稼ぐのではなくて


あくまで相手のお金に依存した考えなのが、正直どうなのかなと思ってしまう。


恐らく、こういう考え方をしている人には、良い男性は寄ってこないんじゃないかな。


だって、貧乏になったら愛想を尽かされるかも知れないんだから。


よっぽど、物好きな人か、かなり年上な人でないと、結婚は難しいんじゃないかな。


自分も、そんな考えを持った奥さんなんて嫌だよ(笑)



「貧乏だったから、もう二度とお金で苦労しないように、頑張って稼いで貯金してます。」


とかだったら、かっこいいなと思えるけど


そうではなくて、相手にお金を求めてるんだもんなぁ・・・。


なんかズレてる気がする。


しかも、最低限のお金と言っておきながら貯金一千万って・・・(笑)

2015年9月4日金曜日

激突!

たまたまBSジャパンで放送されているのを観た。


とは言え、途中からだが。



「激突!」は、スティーブン・スピルバーグの監督デビュー作と言われている映画。


全盛期のような、派手な映画ではないが、ミステリアスな演出が上手く


先の展開、そして結末が気になってしまう映画だった。


追いかけてくる運転手は一体何者なのか、何故執拗に追いかけてくるのか。


最後まで、それは分からず、衝撃的な結末を迎える。


アイディアと演出で魅せる映画らしい映画。


観終えた後は、きっと様々な議論が交わされることだろう。


そういった、議論を誘うような作りも良かった。


時代に左右されない、名作のように感じた。

2015年9月3日木曜日

エターナルアルカディア

あなたにとっての「神ゲー」、名作RPGを教えてください!




現時点で、自分が最も好きなRPGは「エターナルアルカディア」


王道は古臭いと言われ、ポジティブで熱血な主人公よりも


ネガティブで悩み続ける主人公が支持される中


この作品は、王道ど真ん中。



ベースは、大航海時代。



世界は、空に浮かぶ島々で構成され


ヨーロッパ、アラビア、アジア、南アメリカ、南極


そしてアトランティスなどをモデルにし、異なる文化圏が存在する。



主人公は“空”の盗賊、「空賊」



どんな逆境にもめげず、決して諦めず、立ち向かっていく。


古代兵器復活を目論む帝国の野望を阻止するため


そして、未知なるモノをこの目で確かめるため、世界を飛び回る大冒険活劇。




世界中には「発見物」と呼ばれる様々な遺産が存在している。


ピラミッドなどの遺跡や、自然が生み出した景観、不思議な生物など


世界は、驚きと発見に満ち溢れている。


それらを探し回ることも、この作品の大きな魅力の一つ。


これほどまでに、胸躍らされるRPGは無かった。


自分にとって、RPGの模範的なゲームで、教科書的な存在。



海外でも評価は高く、通称メタスコアの「Metacritic」でも、以下の評価。



「Metacritic」では「ファイナルファンタジー X」よりも評価が高く


「ファイナルファンタジー VII」と同程度の評価。



RPGとは、「ロールプレイングゲーム」のこと。


持論だけど、RPGで最も重要なのは“世界観”以外にない。


優れた世界観とは、“その世界に入り込みたい”と思えるかどうか。


ゲームとは“体験”である。

2015年8月23日日曜日

森山愛子

以前、「王様のブランチ」に出演していた演歌歌手、“愛コブッシー”こと森山愛子さんについて。


当時から「王様のブランチ」を観ていたから、この人のことは以前から知っていたんだけど


改めて、この人の歌っている動画を観て衝撃を受けた。



まずは、この動画から。


新たに発見したものではなく、以前から知っている動画なんだけど


「USA for Africa」にも参加し、80’sスーパースターであるシンディー・ローパーを前にしても


堂々と歌う森山愛子さんが凄い。


何よりも、圧倒的な歌唱力。


声量といい、声色といい、子節といい、表現力といい、非の打ち所が見つけられない。


自分は、美空ひばりも大好きでよく聴く人間なんだけど


例え、彼女と比較したとしても、かなりのレベルだと思う。



その他にも、いくつか。


今の時代、自分と同世代以下で、これほど上手い歌手がいることに感動した。


以前から知っていたけど、これほど上手かったとは・・・。


日本の音楽界の宝だと思う。

2015年8月18日火曜日

クリエイティビティ

「働きたくない若者3割」支持の声




以前から書いてきたことだけど、「クリエイティビティ」というモノが何よりも重要。


仕事だけではなくて、趣味などにおいても。


人間の歴史はクリエイティブの歴史と言っても過言ではないわけで。


クリエイティビティの無い仕事は、機械に奪われていくことは間違いないと思う。



形の見えるモノだけがクリエイティブだとは限らなくて


ちょっとしたアイディアでも、何でもいい。


iPhoneのようなイノベーションのみをクリエイティブと呼ぶわけではない。



自分のアイディアが採用されれば、人は喜ぶ。


それを評価されれば自信になる。


そういった流れを、職場内で作るべき。


決められた人だけで何もかも決めるのではなくて


その組織に関わる全ての人から、アイディアを募ればいい。


アイディア採用の報酬は、給料アップやボーナスでなくてもいい。


職場の人たちの前で、責任者が表彰して称えてやるだけでもいい。


それだけでも、その人は喜ぶし、自信になる。



クリエイティビティを発揮できない人はいない。


生きている限り、何らかのクリエイティビティを発揮しているはずだからだ。


それに気づいていないだけ。


それに気づかせるためには、日本の教育を変えたほうがいい。


知識の豊富さや、試験の点数だけではなくて


正解の無い問題に対してアイディアを出せる人間を育てるべき。


正解は無いのだから、間違いも無い。


重要なのは否定しないこと。


否定すると、視野や発想の幅を狭めることになる。



クリエイティビティは、全ての人間が持っている才能だ。

教育レベルの低下

「空欄埋めて書く」感想文テンプレ




まず、模倣云々言っている人が記事で紹介されているけど、読書感想文だよ?


“小説”や“小論文”を書けと言われているわけではなくて


“読書感想文”を書けと言われているだけ。


大袈裟に捉え過ぎている気がする。


感想文なんだから、こう書かないとダメなんていう決まりは無いはず。


思うがままに書けばいい。


特に書くことが無いのなら、それでも良いんじゃないか。


ただ、感想文だから、その理由もしっかり書く必要はある。


自分の感想も他人頼みでは、一体その人間のアイデンティティは


どうやって構築されていくというのか。


恐らく、「こう書かなければならない」といった


形式に、こだわり過ぎているからこそ、苦労する人が多いんだろうね。


「自分の感じたことを自由な書き方で書く」という目的も


読書感想文という課題には持たせた方が良いんじゃないかな。



“たかが”という言い方は良くないかもしれないけど


たかが読書感想文で、“模倣”や“オリジナリティ”という言葉が出てくること自体


自分としてはビックリしてしまう。



>いきなり読書感想文を書けって言われても苦痛でしか無かった


それが、この人の適性であり、能力だということ。


自分の得手不得手を知ることも、とても重要なこと。


それで成績が悪くても、問題無いでしょう。


そこから、自分の方向性や得意分野を見出していくのだから。



>テンプレから入って繰り返し自分の物(独自性)に向けるのが勉強

>勉強とは人真似


確かに、創作は模倣から始まるもの。


手塚治虫も、ディズニーの模倣から始めたワケだし


鳥山明や他の漫画家たちも、そうだった。


しかし、繰り返すことになるけど、これは読書感想文なんだよ。


ただの感想。


「さっき観たテレビ番組面白かったね~」レベルのことなんだよ。


それをテンプレに頼るってどういうこと?


英語なら分かるけど、母国語の日本語だよ?


日本の教育は、英語だけではなくて日本語まで不自由にさせる気なのか。



>『文章の組み立て方の基本』を教える


それを学ぶ手段が読書なんじゃないか。


本を読んだのに、文章の書き方が分からないって、意味が分からないよ。



またまた繰り返すけど、文章の書き方なんて気にする必要ないんだよ。


感じたままに、ただ書けば良いんだって。


何も感じなかったのなら、それはちゃんと読んでいないか、想像力や感受性が乏しいせい。


そういう人ほど、読書が必要なはずなんだけど。



最近の日本の教育の方向性は、少しおかしい気がする。


例えば、国は「スーパーグローバル大学」なんて事業を創設したにもかかわらず


国立大学の文系学部を廃止しようとしていたり、明らかに矛盾している。


そんなことをしたら、教養の無い“理系バカ”が大量に生まれ


ますます、世界の優秀な学生たちに遅れをとることになるのでは。



まだ“リベラルアーツ”の重要性に気づいていないのか。


ハーバードやMITでも、リベラルアーツに力を入れているというのに。


ますます、日本の大学の存在意義が失われていくような気がしてならない。


もちろん、“学び”は学校でしかできないものではないし


ネットが充実している現在なら、“独学”という手段で教養を身に付けることは十分可能。


しかし、大学の授業を受け、さらに独学までするような向上心の高い学生は


一体どれほどいるというのか。


それができるのであれば、そもそも大学へ行く必要は無いのではないか。



そもそも、以前から書いてきたことだけど


文系学部、理系学部という分け方を、そろそろ止めた方が良いと思う。


ICUのように、学部を教養学部に一本化して


幅広い学問を自由に学べるような環境作りをするべきだと思う。


ちなみにハーバードも、ICUと同様、教養学部のみ。



そういった環境で、軽い気持ちで様々な学問に触れて教養を身に付け


自分の適性を知り、専門性を高めていくべきかと。


“学ぶ”ということは、本当は苦痛を伴うものではなくて


日々の成長を感じることが出来る、とても楽しく刺激的なモノのはず。


それは、驚きと発見の連続。


誰かに強制されるものではなくて、自ら好奇心を抱いて自発的に学ぶもの。



文系学問の存在意義が分からない人は、↓で紹介している記事を読めば


いくらか理解を深めることが出来ると思う。



『MITが「学部では最先端なんて教えない」理由:日経ビジネスオンライン』

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130227/244292


『MITは「理系バカ」が役に立たないと知っている:日経ビジネスオンライン』

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130305/244525


『【伊藤穰一氏×牧野正幸氏 “未来のIT”対談】文系理系に分けるのはNG!日本の教育に物申す - リクナビNEXTジャーナル』

http://next.rikunabi.com/journal/entry/20141020


『日本人の的外れな「リベラルアーツ論」  日本の教育では、「本物の日本人」は生まれない  東洋経済オンライン  新世代リーダーのためのビジネスサイト』

http://toyokeizai.net/articles/-/13697


『本物のリベラルアーツを日本人は知らない  日本の教育では、「本物の日本人」は生まれない  東洋経済オンライン  新世代リーダーのためのビジネスサイト』

http://toyokeizai.net/articles/-/13769

2015年7月29日水曜日

良い判断

「ドラクエXI」はPS4&3DSで、オンラインではなくスタンドアローン。

https://www.narinari.com/Nd/20150732884.html



『どのハードで発売されるのか?』という関心が高まっていた中


「PS4」と「3DS」のマルチ。


そして、任天堂の次世代ハード「NX」での発売も予定しているとは、正直驚かされた。


自分は、「ドラクエ」シリーズの人気を考えた場合


海外で売れている「PS4」よりも


国内で売れている「Wii U」で出すのではないかと予想していた。


国内で最も売れているのは「3DS」だが、過去に堀井さんが


「大きい画面で」


と発言していたらしいため


携帯型ハードよりも据え置きハードで出る可能性が高いと考えていた。



今回の発表で素晴らしいのは


それぞれのハードユーザーの需要を考慮し、異なるテイストで開発している点。


海外ユーザーやコアゲーマー向けに、HDの3Dグラフィック。


国内ユーザーやライトゲーマー、従来のファン向けに、SDの3Dグラフィック&ドット絵。


3Dグラフィックの方は、頭身も低く、かわいらしいデザイン。


ドット絵の方は、「SFC DQ3」のようなテイスト。


自分はドラクエに関して言えば


3Dも良いけど、やっぱりドット絵の方がドラクエっぽくて好きという考え。



個人的に、ドット絵は単なる過去の技術ではなく、表現手法の一つだと考えている。


音楽で例えれば、「クラシック」と「テクノ」のような関係。


最近は、オートチューンなど、電子音の音楽が人気だが


生楽器を使った「クラシック」や「ジャズ」もジャンルの一つとして


現在も多くの人々に愛されている。


アートで例えれば、「2Dアート」と「3Dアート」の関係。


3DCGを駆使したアートが増えてきたが


2Dアニメーションも、まだまだ世界中で愛されている。


テイストも異なり、住み分けは可能なはずだ。



「2015 CESAゲーム白書」によると


コンシューマ市場が7年連続で縮小し、ほぼ半減しているとのこと。


対して、ソーシャルゲーム市場は7年連続で拡大し、約1400倍とのこと。


コンシューマ業界内で争っている場合ではない。


コンシューマでしか味わえないような体験を模索し


提供する努力をし続けなければならない。



2015年7月16日木曜日

2015年7月15日水曜日

訃報

任天堂の岩田社長が55歳で死去、Wiiでゲーム人口拡大

https://jp.reuters.com/article/iwata-idJPKCN0PM14U20150713



任天堂の岩田聡社長が、11日に亡くなった。


「Nintendo Direct」を毎回欠かさず観ていたため


自分にとって、岩田さんは馴染み深い存在だった。


晩年は確かに痩せてはいたが、まさか命に関わるほどとは思っていなかったため


訃報を初めて目にしたときは、とても驚いた。


想像すらしていなかったため、ネタか何かだと思っていたが・・・。



ハードの、単純なスペックアップに拘らず、“新しい遊び”を提案し続けている任天堂は


自分にとって、とても尊敬できる存在。


横井軍平さんが健在であった頃から


消費者自身も気付いていない、新たな需要を掘り起こすという姿勢。


横井さんの功績から考えれば、日本のスティーブ・ジョブズと言っても過言ではない。



ゲームのアイディアというものは日常の中にあって


それを、いかにゲームとして仕上げるか。


最近では、ゲームを語る際、グラフィックの話しか出てこないことが多い。


重要なのは、綺麗なグラフィックを失くしたら、一体何が残るのかということ。


そういう意味では、「マリオ」や「ゼルダ」といったゲームは


非常に完成度の高いゲームだと感じる。


余計なものを全て失くした時に残るものが、一番重要な要素であり、根幹的な存在。


ゲームデザインの話をしだすと長くなりすぎてしまうため


この話は、ここで終わりにする(笑)



コンシューマのゲームは、グラフィックの向上と共に


より、複雑かつ難解でニッチなものになり続けている。


ゲーマーには受けが良いが、それ以外には興味を持たれるどころか


存在自体知られていなかったり。


そんな中でも、“5歳から95歳まで”という言葉の通り


万人向けのゲームを考え、作り続ける任天堂は、やはり素晴らしいと感じる。



コンシューマでは、「PlayStation」や「Xbox」


さらに携帯機では、同じく「PlayStation」の他に、スマホがある。


そういった存在との差別化を図ることこそが何よりも重要で


そこでしか味わえない体験・遊びを提供できるかどうか。



現在、スマホに押されてはいるものの、スマホには致命的な欠点がある。


それは過去の日記でも書いたが、ゲームにおいて最も重要な要素である操作性。


単に、“操作のしやすさ”だけではなく、“操作の心地良さ”というのが


ゲームの最も重要な点であり、原点。


プレイヤーの「こうしたい」という気持ちと、それに伴った操作。


そして、コントローラーを通して、ゲーム内でのレスポンス。


これらが一致した時、快感を生み出す。


その快感を味わえる機会が多いほど、優れたゲームであり


また、そのバリエーションが豊かであれば、さらに良い。



こうした努力と挑戦を続けてきたのが任天堂だ。


時には、失敗することもある。


しかし、挑戦には失敗はつきもの。


“新しい何か”を生み出すには、試行錯誤が欠かせない。


失敗と成功の繰り返しで、文化は構築されていくものだと思う。



岩田さんに一度“直接!”お会いしてみたかったけれど、それも叶わなくなってしまった。


さらに言えば、横井さんにもお会いしてみたかった。


しかし、宮本茂さんには是非ともお会いしてみたい。



岩田さんが亡くなり、今後任天堂がどうなっていくのか注目していきたい。


もちろん、良い方向に進んでいってほしい。


いつまでも、世界中の全てのゲーマーの故郷であり続けるはず。



楽しい体験を、ありがとうございました。

2015年6月17日水曜日

シェンムー

【E3 2015】鈴木裕氏から待望の続編『シェンムー3』が発表!PS4/PCで登場予定




これまで国内外問わず、多くのファンから熱望されてきたけど、ついに実現するとは。


「シェンムー」は、日本よりも海外の方が高く評価されているシリーズで


国内外で賞を受賞していたり、スティーブン・スピルバーグから高く評価されていたり


それまでは見下ろし型のゲームだった「Grand Theft Auto」シリーズに


大きな影響を与え、「GTA III」が誕生するきっかけとなったりしている。



「シェンムー」シリーズは、セガの「ドリームキャスト」というハードのゲームだけど


実は、その前世代機「セガサターン」での開発が行われていたみたい。



ちなみに「シェンムー」シリーズは


GameTrailers.comの企画「GT COUNTDOWN」の


「Top 10 Necessary Sequels(続編を出してほしいランキング Top10)」


で、1位になっていたり。


また、主人公の「芭月 涼」は、こんな作品に出演していたり


『Sonic & SEGA All-Stars Racing』

『Sonic & All-Stars Racing Transformed』

ファンによって、こんな動画が作られていたりする。


『Sleeping Dogsでのパロディ動画』


『ファンによるシェンムーをHD化した動画』


『ファンがUnreal EngineでMAPを再現した動画』



「龍が如く」シリーズと比較されたりするけど、似て非なるゲームだと思っている。


恐らく、方向性自体が違う。


似ているのは、現代の街を箱庭的に探索できるという部分だけで


「シェンムー」シリーズの方が、よりスケールの大きい物語。


また、引き出しを開けたり、物を手に持って観察するなどの


細かい作り込みは「龍が如く」シリーズには無い。



「シェンムー」シリーズについて解説している公式の映像があるから


興味のある人は↓からどうぞ。



「シェンムー」シリーズは、とにかくスケール感が凄い。


実際、スケールの大きい物語ではあるんだけど、演出が秀逸で映画的なゲーム。


音楽、レベルデザイン、カメラ演出、ストーリー、キャラクター


どれをとっても素晴らしいゲームだと思っている。


個人的に、「Grand Theft Auto」シリーズでも、これほどのスケール感は無い。


非常に学ぶことの多いゲーム。



ここ何年か、いやそれ以上の期間で、一番大きなニュースだろうね。


個人的に「FF VII」のリメイクとは比べ物にならないほど、大きなニュースだと思っている。


目標金額の$2,000,000(¥200,000,000)は、開始から8時間半で達成したらしい。


「シェンムー」シリーズが、いかに人気かというのを証明できたんじゃないかな。


しかし、本当に実現するとは。


長い間、ずっと熱望されてきたからね。


本当に感慨深い。


問題は、どのようなゲームに仕上がるのかということだね。


できれば、1と2のリメイクも期待したいところ。


横須賀や香港、九龍の景観をHDで観たいし、散策したい。

問題作

【E3 2015】PS4『ファイナルファンタジーVII リメイク』発売決定




「FF」シリーズの問題作であり、シリーズ中最も賛否の分かれる作品。


自分は、面白いゲームだとは思うけど、出来が良いとは思わない。



「FF」の方向性が変わっていく様子は、「FF VI」辺りから表れ始め


良くも悪くも、この「FF VII」で大きく変化した。


それまでの「FF」をプレイしていれば分かると思うけど、明らかに気色が違う。


そういえば、キャラデザインも、「FF VII」から天野さんではなくなったんだっけ。


品質も、2Dから3Dへと移行したゲームだからかもしれないけど


全体的に作りが粗く、手探り状態で何とか完成させたという印象。



欠点はたくさんあるんだけど、特に印象に残っているのは以下の4つ。


1.マップが見づらい。


 粗い3DCGの静止画を背景に使っているため、非常に見づらい。


 マップの探索を行わなければいけないゲームとしては致命的。


2.演出が地味。


 これまでの「FF」、特に「FF VI」などと比べると


 イベントの演出が地味で、BGMもあまり印象に残らない上に淡々と進んでいく。


 「FF IV」のテラ、ヤン、シド、パロム&ポロムなどのシーン


 「FF V」のガラフ、ギルガメッシュなどのシーン


 「FF VI」のフィガロ城、セッツァーなどのシーンと比べると


 インパクトに欠ける上、印象に残ったシーンは、ほとんど無い。


 せいぜい、あのヒロインの悲劇ぐらい。


3.召還の演出が長い。


 召還魔法は強力なんだけど、演出があまりにも長い上にスキップできないため


 自分は、物語後半から召還魔法を使わなくなった。


4.強制ミニゲーム。


 物語を進める上で、いくつものミニゲームが用意されていた。


 寄り道として遊ぶのなら良いのだけど、強制的にプレイさせられる。


 プレイしたのは結構前だから、うろ覚えだけど


 クリアしなければ先に進めないものが多かったはず。



他には、会話イベントが長いとか、全体的に暗いとか


主人公が気取り屋の割りに軟弱だとか色々あるけど


ここらへんは、好みの問題だから割愛。



ちなみに、元スクウェアの植松伸夫さんも過去に


■オリジナルの「FF」は「FF VI」まで。

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Uematsu: I do not actually feel that Final Fantasy is in any way 'my' series. I think one can say that the original Final Fantasy ended with part six. From Final Fantasy VII onwards, a lot of new, younger people came aboard the development team and it wasn't possible to point to an actual author of the game. Before, there was a set team with equally important contributors. Everything that came after part six I don't really consider my work anymore.

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場所は、以下のサイト後半部。


『Interview with Nobuo Uematsu』

http://web.archive.org/web/20120522201821/http://www.g-wie-gorilla.de/content/view/136/18/


■スクウェアを辞めたのだから、楽曲の権利を返してほしい。


 3:50~

■坂口さんがいなくなったのだから「FF」シリーズは作るべきではない。


 4:07~

■スクウェアは変わり始めたのは、坂口さんがいなくなってから。


 5:00~

と公言していたりする。


これらの、他のインタビュー動画は↓の一覧から観ることが出来る。


『1UP.com植松伸夫ロングインタビュー』

http://www.nicovideo.jp/mylist/5457236



あとは、過去にツイッター上で、坂口さんらと


当時の「FF」の、開発現場の話をしていて


そこでも「FF VI」が一番やりがいがあったと語っている。


『スクウェア同窓会の断片』

http://togetter.com/li/11632



相変わらず、過去の遺産頼みなのはアレだけど


コンシューマーを盛り上げる効果があるのなら、良いかもしれない。


コンシューマーゲームの開発者は、スマホなどでは体験できないような


質の高いゲーム体験を提供し続ける必要がある。


お金を支払ってでも体験したがるような


また、お金を支払って損した気分にはさせないようなゲームを。


作り手としてのプライドがあるのなら、スマホゲームなどには絶対に負けてはいけない。


舐められてはいけない。


ビデオゲームの最前線は、コンシューマーなんだと世界に知らしめてやるべきだ。



しかし、個人的には「シェンムーIII」の方が、圧倒的に大きなニュースだったりする。

2015年6月14日日曜日

インディーズの時代

濃すぎる個性は求められない? “職人”が減少するゲーム業界

https://www.oricon.co.jp/news/2054266/full/



これからはインディーズの時代。


かつてのトップクリエイターは、ほとんどが大手を離れて独立し


ディベロッパーとしてゲームを開発している。


今は大手でなくても、世界で通用するゲームはいくらでも作ることが出来る時代だ。


「Minecraft」の開発者も、ゲーム会社を退社して成功した人間。



“100人の凡人より1人の天才”という言葉を、任天堂の山内 溥さんは遺した。


それは、「ゲーム&ウォッチ」や「十字キー」


「ファミリーコンピュータ」や「ゲームボーイ」


「メトロイド」シリーズの生みの親である横井軍平さんや


「マリオ」シリーズや「ゼルダ」シリーズ


「スターフォックス」シリーズや「ピクミン」シリーズの生みの親であり


横井さんの弟子である宮本茂さんなどがいたからこその言葉だろう。


日本では、あまり知られていないだろうが、数多くの賞を国内外で受賞しており


最近では、スペインで「アストゥリアス皇太子賞」を受賞した。




開発費が高騰し続けている一方


個人でもハイクオリティなゲームを開発できる環境が無料で手に入る時代。


「Unreal Engine(以下 UE)」や「CryEngine」、「Source SDK」や「Unity」など。


2Dなら「RPGツクール」や「アクションゲームツクール」などがある。


特に「UE」は、プログラム知識や技術の無い人でも


コーディングすることなくゲームを開発することが出来る


「ブループリント」と呼ばれるビジュアルスクリプト機能を搭載していて


全くコーディングすることなく、市販のゲーム並みの作品を作ることが出来る。


公式で、チュートリアルサイトや動画も公開されている。


3Dモデリングも、「Blender」などの無料で利用できるツールで可能だし


また、無料 or 安価でグラフィック素材を提供しているユーザーも多い。


完成したら、ネットで、すぐさま世界中に公開できる。



「RPGツクール」や「アクションゲームツクール」も


コーディング無しでゲームを開発することが出来る。


また、スクリプトで機能追加や改造も可能で


スクリプト素材を無料で提供しているユーザーも多い。


同様に、グラフィック素材やサウンド素材を無料で提供しているユーザーも多い。



スマホに関しては以前も書いたが、ゲーム機には向いていない。

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『ゲーム機?』

https://sauzand.blogspot.com/2015/05/blog-post_20.html

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あくまで、ゲームも出来る程度だ。


一番の理由は、操作性が劣悪だということ。


平面的な画面に触れることでしか、操作することができないため


満足にプレイできるゲームは、カジュアルなモノに限られてしまう。


無理やり作ろうとすれば可能だろうが


一般的なゲーム機でのプレイと比較すると、没入感が著しく低下する。


何故なら、物理的な触感が無いからだ。


例えば、もし梱包財のプチプチが平面的だった場合


あなたは心地良いと感じることができるだろうか。


あの物理的な触感と音があるから、心地良いと感じるわけで


それが味わえないと、当然心地良さも半減どころか皆無になる。


スマホゲームの利点は、誰もが持っていて携帯できるという点のみだ。



これは持論だが、ゲームは、もはや単なる娯楽ではない。


文字通り、無限の可能性を秘めている。


ゲームのジャンルが、非常に多岐に亘っているのが何よりの証拠だ。



他の娯楽とゲームの一番の違いは、受動的か能動的かという点だ。


能動的であるが故に、ゲームは古くから“仮想現実”と呼ばれてきた。


この点を大いに活用すれば、娯楽以外の分野に貢献することが可能なはずだ。


主に、教育の分野では多大な貢献が期待できると考えている。


大抵の子供は、勉強が好きではなく、あまり関心を示さない。


しかし、ゲームに対しては強い関心を示す。


「ポケモン」や、最近では「妖怪ウォッチ」の人気ぶりが証明している。


これは、国内だけではなく、世界規模で言えることだ。



子供は、マンガやアニメ、ゲームの知識などは、すぐに吸収する。


この関心の強さと、知識の吸収速度を勉強に置き換えることが出来れば


それは、とても素晴らしいことだと思う。


例えば「桃太郎電鉄」で、地理や各地の名産品など


「どうぶつの森」や「ぼくのなつやすみ」で、昆虫などの生物の名前や生態


「Forever Blue」シリーズで、海洋生物の名前や生態


「大航海時代」シリーズで、世界の歴史や世界中の国々の風土や地名、名産品


遺跡や宗教、海洋生物や陸上動物など多くの物事を知ることが出来る。


オンラインでプレイヤー同士で繋がれば


互いの意見を交わすことが出来、社会性も身につくだろう。



これらの点で重要なのは、あくまでゲームとして作ること。


デジタル教科書や問題集として作ってはいけない。


そのためには、世界観とストーリーが何よりも重要。


仮想現実での“体験”として、よりリアルに楽しめることが重要なのだ。


それらが、よりいっそうプレイヤーの没入感を高める。



自分が言いたいのは、ゲームは教育の敵ではないということ。


作り手次第で、様々な影響を与えることが出来る可能性を持っているのが


ゲームというインタラクティブなコンテンツの特徴だ。


スマホゲームは、そういった可能性を追求できていないという印象。


単なるビジネスとしてしか捉えていないのではないだろうか。


自分は、そのようなゲームに時間と金を浪費するぐらいなら


自分でゲームを、企画・開発した方が有意義だと感じる。



ゲームの企画・開発をするには、様々な知識や発想が必要不可欠で


そのためには、広い視野で物事を見て、学び続ける姿勢が何よりも必要。


ゲームは、単なる娯楽として見下せるほど、単純な娯楽ではないということだ。

2015年6月13日土曜日

そもそも

ディズニーシー「ストームライダー」終了に反対の声 裏側にあった綿密なストーリー設計、オリエンタルランドの見解は

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1506/11/news124.html



「ディズニーシー」は大人向けと言っている人が多いけど


そもそも、ディズニーパークを生み出したきっかけとなるウォルトの考えとして


「遊園地で子供が遊んでいる間、大人が退屈しないように

 一緒に楽しめるテーマパークを作ろう」


というものがあった。


つまり、最初から子供向けではなく、大人も楽しめるということを重視していた。


アルコール飲料が飲めたり、ベニスやアメリカ、アラビアの街並みが


ロマンチックに感じたりといったことから大人向けと感じている人が多いのだろうけど


個人的には、逆に「ハウンステンボス」や「エプコット」のワールド・ショーケースなどの


縮小版といった印象で、エリアの雰囲気や色彩も似たり寄ったりで退屈に感じてしまう。



そもそも、「パークは永遠に完成しない」という理念があるのだから


オープン当初からエリアごとに設定を細かく決めてしまうと


後々、アイディアの幅を狭めてしまい、アトラクションなどの変更がしづらくなる。


やはり、エリアの設定は、一言で説明できる程度にしておくべきだと思う。


例えば、「アドベンチャーランド」は、冒険の世界。


「ウエスタンランド」は、西部開拓時代。


「クリッターカントリー」は、動物たちの暮らす世界。


「ファンタジーランド」は、おとぎ話の世界。


「トゥーンタウン」は、ディズニーキャラクターたちの住む街。


「トゥモローランド」は、未来の世界。


そう考えると、やはり「ディズニーランド」は秀逸なテーマパークだと感じる。



個人的には、当初の計画通り、「ハリウッドスタジオ」的な


映画をモチーフにしたパークの方が良かったのではないかと思う。


そうすれば「ピクサー・プレイス」という、ピクサー関連のエリアが作れるから


今回「ストームライダー」の代わりに作られるアトラクション


「ファインディング・ニモ」と「ファインディング・ドリー」のアトラクションも


違和感がないし、少し前にできた「トイ・ストーリー・マニア!」も


「ディズニーワールド」では、ここに作られているから同様に違和感がない。



「ディズニーシー」というパークのコンセプト自体に無理が生じてきたとしか思えない。


もういっそのこと、オリエンタルランドは企画に関わらない方が良い気がする。

2015年5月27日水曜日

イルカ

“イルカで遊んだ男女”大炎上「SNSは馬鹿の宝庫だな」「非常識だ」。

https://www.narinari.com/Nd/20150531709.html



イルカ関連については、色々世界中で言われているけど


個人的には、イルカだけでなく鯨に関しても、どちらかと言えば反対の立場。



「絶対無くすべきだ」とか「イルカや鯨が可哀想」とは思っていないんだけど


今まで、日本の首都圏で生まれ育ち、数十年生きてきた中で


記憶の限りでは、鯨もイルカも食べたことは一度もないし


「イルカ漁」なんていう文化が日本に存在することを初めて知ったのは


例の映画関連のニュースを見たとき。


つまり、主観的な意見ではあるけど、ニッチかつ需要が低い産業ではないかと。


そこに、「伝統文化」という言葉を持ち出して、頑なに守ろうとしている印象。



そんなことよりも、一般の日本人が海外へ行ったときに、鯨やイルカ関連の問題のせいで


現地の人々から不当な扱いを受けたらどうするのかの方が気になる。


自分とは全く関係の無い、ニッチな伝統文化のせいで迫害されたら


それ関連の人たちは責任を取ってくれるのかな。


一般人にとっては、鯨やイルカ漁の是非よりも、そういう問題の方が重要だと思うんだけど。



外向けに文化を送り出していくなら、絶対に避けては通れない問題だと思う。


2020年には「東京オリンピック」が控えているけど


それ関連の騒動が起こったら、一体どうするんだろう。


個人的な意見だけど、伝統文化というものは必ずしも尊いモノばかりではないと思う。


日本の歴史を振り返れば


今では考えられないような非人道的な行為や文化が普通に存在していたようだし


世界中で、これほどの注目を集めているくらいだから


今、鯨・イルカ漁にとっての転換期なのだと思う。


あくまでも、伝統文化として海外から非難されていても頑なに守り続けるのか


時代だと割り切って、伝統文化に幕を下ろすのか。


同じ食文化でも、和食は無形文化遺産に登録されて、認めてくれているわけで。


鯨とイルカに関しては、認めることは難しいのだろうね。



そもそも、鯨やイルカを食料としたいのならば


牛や豚のように養殖・家畜化すればいいのではないかと。


恐らく、野生の鯨やイルカを狩っているのが問題視されているのでは。


コストがかかる場合、国に補助してもらうとか。


また、網を破る害獣という意見も見たことあるけど


破られない網を開発すればいいだけの話ではないかと。


これも国に補助してもらって、得意の技術力で研究開発すれば良いのでは。


もし完成すれば、海外にも売ることが出来て一石二鳥かと。



まとめると、鯨・イルカ漁自体よりも


それが原因となる、他国との関係に対する影響の方が心配。


こういう時、いつも一番迷惑するのは、無関係の一般人なんだよなと思う。

2015年5月21日木曜日

上海ディズニーランド

中国初のディズニーストアが上海にオープン、世界最大規模

https://jp.reuters.com/article/china-disney-store-idJPKBN0O609S20150521



現在「上海ディズニーランド」建設中だからね。


開園に先駆けて、ディズニーストアをオープンさせて


ディズニーに馴染んでもらうためかな?



中国には、「香港ディズニーランド・リゾート」が既にあって


こちらも色々と言われていたけど


「香港ディズニーランド・リゾート」にしかないアトラクションもあって


個人的に、結構好きだったり。


特に、「ミスティック・マナー」が凄い。


技術、演出ともに、世界中のディズニーパークの全アトラクションと比較しても


1、2を争う完成度だと思う。


「上海ディズニーランド」が、どんなパークになるのか楽しみで仕方ない。

同情

■オリラジ中田「妻の発言は心配していません」 山田菜々、総選挙トップ予想は「さや姉」

(TVfanWeb - 05月21日 16:40)

https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/28476



何かを自慢したがったり、誰かを見下したりする人は


恐らく自己顕示欲の強い人間なんだと思う。


高い学歴や、その他の立派な実績を持っているのなら


何も言わずに堂々としていればいい。


自分に自信を持っているはずなのだから、わざわざ誇示する必要はないはず。


国内なら、東大、京大。


世界規模では、ケンブリッジ、オクスフォード、ハーバード、MITと


上には上がいるわけで。


下にいる人間を見下せば、自分より上にいる人間に見下されることになる。



そもそも、芸能人なのに学歴を誇るというのは、よく分からない。


芸を誇るなら分かるけど。


以前の記事で、青春を勉強に捧げてきたと言っていたぐらいだから


他に誇れるものがないのかもしれない。


だから、他人を評価する時も学歴基準になってしまうのかも。


そう考えると、なんだか可哀相で同情してしまう。



ともかく、人間を一つの物差しで測ることは不可能。


それくらい、世界には色々な人間がいる。


そういう意味では、上記に該当する人間は世間知らずなのかもしれない。


こんなネガティブな話題で盛り上がる世の中も、嫌なものだね。

2015年5月20日水曜日

ゲーム機?

最強の携帯ゲーム機ランキング

https://ranking.goo.ne.jp/column/1210/



スマホがゲーム機だとは思えないが


仮にゲーム機として見ても、最低の携帯ゲーム機だと思う。


理由は、操作性。



一般的なゲーム機に付いている


十字キーやAボタンといった物理的な入力装置が搭載されていないため


お世辞にも操作性が良いとは言えない。


操作性という意味では


物理的な入力装置が搭載されている従来型のケータイの方が、まだマシだと思う。



ゲームにおいて、操作性というのは一番大切な要素。


グラフィックよりも、ストーリーよりも、キャラクターよりも、音楽よりも。


なぜなら、ゲームはジャンルが多岐に渡っているため


何が重要かという点は、ジャンルによって異なる場合が多いが


ゲームと呼べるものの唯一の共通点が、プレイヤーが操作をするという点だからだ。


これが無ければ、ただの映像作品になってしまう。



また、ゲームというのは、プレイヤーの操作(アクション)と


それに対する反応(レスポンス)を楽しむエンターテインメント。


物理的な入力装置があったほうが、“その気に”なれる。


想像してみてほしい。


ゲームセンターに、ガンシューティングゲームがあるとする。


一般的には、銃型のコントローラーを画面に向け、引き金を引くことによって操作を楽しむが


もし仮に、手に何も持たず、人差し指を画面に向けて操作するゲームだったら。


もしくは、銃型のコントローラーは使うものの


引き金を引かず、画面に向けるだけのゲームだったら。


あなたは、そのゲームを楽しむことができるだろうか。


遊べなくはないが、どこか物足りないと感じるはず。


銃型の何かを持ち、引き金を引いた方が、より“それっぽい”からだ。


その“それっぽさ”が何よりも重要なのだ。


物理的な感覚を味わえない入力装置を使うということは


既に潰し終わった梱包材のプチプチで、プチプチ感を楽しもうとするようなものだ。



ゲームとは体験だ。


ごっこ遊びというものが、昔から存在するが


それを入力装置を通して、画面上で行うのがゲームだ。


そのため、“デジタルなリアルごっこ遊び”こそがゲームなのだ。


これは個人的な考えだが


「キネクト」があまり上手くいかなかった理由はそこにあると思っている。


そのため、元々コントローラーを必要としない


ダンスゲームなどの体感ゲームに積極的に使われるようになった。



なので、スマホで出せるゲームのジャンルも限られてくる。


操作感覚を楽しむような、アクションゲームなどよりも


シミュレーションゲームやパズルゲーム、RPGなどが必然的に多くなる。


また、画面が小さいため、高解像度なゲームは難しい。


つまり、ゲーム機としての自由度は低い。


しかし、スマホが持つ唯一にして最大の長所がある。


それは、機器としての汎用性が高いということ。


それが、シェア拡大に繋がった理由であり、常に持ち歩く理由でもある。


それゆえに、スマホでゲームをプレイする機会も必然的に多くなる。



スマホを例えるなら


どこにでもあり、大抵の物は揃えてあるコンビニエンスストアのようなもの。


百貨店がコンビニに対抗するには、どうすればいいかを考えればいい。


スマホと専用ゲーム機の構図に似ている気がする。



ちなみに、自分が考える最高のゲーム機は、携帯ゲーム機の場合


やはり、「3DS」になる。


ゲームには、タッチ&スライド操作の方が快適に行えるモノもある。


従来では実現できなかった、「脳トレ」のようなゲームは


ゲームとしても面白く、画期的だったと思う。


従来型の物理的な入力装置と、タッチパネルを搭載した「DS」の後継機


「3DS」は現状において、最高の携帯ゲーム機だと思っている。


スマホに押されながらも


ミリオンを超えるヒット作を生み出せているのも、何よりの証拠だろう。


また、過去の名作が遊べる「ヴァーチャルコンソール」も、一定の需要を満たしている印象。



自分は、本当に楽しいゲームを知っている。


家庭用ゲーム機や国産のゲームのみならず、海外のゲームや「PC」でもプレイしてきた。


さらに、今では個人でも容易にゲームが作れる時代だ。


そんな中で、あえてスマホを選ぶ理由は、今の自分にはない。

2015年5月19日火曜日

ファインディング・ニモ・サブマリン・ヴォヤッジ

TDS「ストームライダー」終了、新アトラクション導入で2016年5月に。

https://www.narinari.com/Nd/20150531591.html



「ファインディング・ニモ・サブマリン・ヴォヤッジ」が日本に初上陸するのかな?


でも、敷地足りるかな・・・?



[追記]


どうやら、スクリーンタイプのアトラクションのようで


「ファインディング・ニモ・サブマリン・ヴォヤッジ」のようなライドスルーではないみたい。


もう、最初から「ディズニーシー」なんていう独自アイディアをねじ込まずに


本家のような、「ハリウッドスタジオ」で良かったんじゃないかな。


そうすれば、本家と同じく「ピクサー・プレイス」で


テーマとマッチしたピクサー関連のアトラクションを作れたはず。


もしくは、「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」とか。


それなら、「カーズランド」も作れたかもしれない。


「ディズニーシー」のコンセプトでアトラクションを作ることの


アイディア的な限界が来たのではないかと。



海外のディズニーパークよりもキャラクター人気・需要が高い日本では


キャラクター推しになるのは必然なのかもしれない。


ディズニーが子供向けなのではなくて、日本では子供向けが人気なだけかと。


本家には、日本にはない大人向けのパークやアトラクションがたくさんあるのだから。

優秀とは何か。

■福田萌、“学歴自慢”を釈明「勉強は自分が青春を費やしたもの」

(ORICON STYLE - 05月19日 15:15)

https://www.oricon.co.jp/news/2053009/full/



学歴を誇りに思うことは悪いことではないし、自然なこと。


ただ、この人の場合


「親の用意した道を歩んできたのではない」と発言したのがマズかったような。


良い教育を受けられたのは誰のお陰なのか。


学費は全額自腹?生活費は?


勉強に集中できる環境を提供してくれたのは誰?


陰ながら支えてくれたはずの親を忘れ、“自分の力”とするのは、やや驕っているような。



あと、これは個人的な意見だけど


よく言われる「親の七光り」という表現。


自分は、別に何の問題も無いと思う。


他人が努力しても得ることが出来ないコネであり、才能でもあると思っている。


こういった、自分にとって有利な物事は、積極的に利用すべきだと思う。


もちろん、恩は忘れずに。



あと、ネット上でたまに見る


「高学歴でない人間は努力を怠った人間」という意見はどうかなと思う。


そう批判する人間は、一体その人の何を知っているというのか。


今まで、何を考え、何を経験してきたのか、全て知っているのならば問題は無いが。



何かに秀でていれば、それは優れた人間に他ならないと思う。


高学歴な人間は、受験勉強に秀でていたということ。


スポーツ選手は、スポーツに秀でていたということだし


アーティストは、アートに秀でていたということ。


高学歴であることを前提条件とするのは、少し考え方が狭いと思う。


こういった考え方が多いのも


日本の大学の存在意義に問題があるせいなのかもしれないが。



重要なのは、選択肢は無限にあって、どの選択肢を選ぶかも自由だということ。


何かを好きになれるとか、何かに積極的に打ち込めるというのは


その“何か”の適性があるということ。


それを伸ばして、得意分野や能力にしていくことが重要だし


そういった価値観が広まればいいと思う。



この記事の人の場合、受験勉強の適性があり、秀でた人間だということ。


でも、大学で何を学んだかの方が重要だと思うんだけど、まあいいか。

2015年5月10日日曜日

ディズニーには勝てない

任天堂とユニバーサルスタジオが提携し、テーマパーク展開を計画

https://www.inside-games.jp/article/2015/05/07/87399.html



自分は任天堂のファンだし、横井軍平さんや宮本茂さんを、とても尊敬している。


でも、それ以上にディズニー信者と言っていいほどディズニーが好きだし


ウォルトを始め、ナイン・オールドメンやシャーマン・ブラザーズ


アラン・メンケンなどを尊敬している。



ゲーム業界では、任天堂は絶対王者と言っても過言ではないけど


テーマパーク業界となると、話は変わってくる。


任天堂のゲームは、基本的にデフォルメが持ち味。


ディズニーの場合、アニメ映画はデフォルメだけど


イマジニアたちによる、徹底的な拘り、細かいディテール。


エリアやアトラクションだけではなく、キューエリアにまで用意された裏設定が


ディズニーの真の魅力だと自分は思っているんだよね。


残念ながら、ユニバーサルにはイマジニアのような天才集団はいない。


逆に、ディズニーはゲーム業界では任天堂に勝てない。



最近は、色々と大きな動きを見せている任天堂。


正直言って、今後の任天堂がどうなるのか少し不安。


どんなものが出来るかにもよるけど


出来たら出来たで人気は出るだろうし、自分も興味はある。


良い方向に進んでくれれば良いけどね。

2015年4月26日日曜日

三波春夫

「お客様は神様」は誤解されている! 増長する「悪質クレーマー」にネット猛反発

https://news.careerconnection.jp/career/general/10741/



三波春夫と言えば、東京オリンピックや大阪万博だ。


実は恥ずかしながら、最近まで、ここまで凄い方だったとは知らなかった。


自分は、昭和末期の人間なので、両イベントを体験していないのだが


映像資料などを通して、後追いで当時の盛り上がりを間接的に知ることができた。



今回の記事に関してだが


日本のサービスは素晴らしいが、過剰サービスと言われることもある。


特に、商品を購入した時の包装が過剰であったり


洋服店での声掛けが鬱陶しいなどの意見がある。


後者に関しては、以前、何かのテレビ番組で、通常通り声掛けをした時と


一切声掛けをしない時での、時間当たりの売り上げを比較すると


声掛けをした方が売り上げが多いという結果だったのを覚えている。



時代や地域によって、サービスのカタチというのは変わってくるのだろう。


同じ国でも、地域によって気質や価値観が異なってくる。


やはり、マーケティングやモニタリングといった調査は重要なのかもしれない。

歌詞は飾り

音楽における「歌詞」の重要性が低下? メロディとの親和性や語感を重要視

https://www.oricon.co.jp/news/2052012/full/



個人的に、歌詞は、それほど重要ではない。


言ってしまえば、飾りのようなもの。


良い歌詞であるに越したことはないが、曲自体の評価に影響を与えることはない。


歌詞の評価は、あくまで歌詞の評価であって曲とは別だと考えている。


歌詞の語感に関しては音と言えるし重要だが


歌詞の意味となると、完全に曲とは別の評価になる。



そもそも、音楽の三大要素は、リズム・メロディー・ハーモニー。


クラシックでは歌詞は無い曲が多いし、ミュージカルでない限り映画音楽にも歌詞は無い。


まずリズム。そしてメロディー、ハーモニーと重要度が続いていく。



音楽の価値は、文字通り、音を楽しめるかどうか。ノれるかどうか。


自分は、クラシックから映画音楽、演歌から戦前・昭和後期・90年代・2000年代邦楽


80年代洋楽、ゲーム音楽、ミュージカルなど、様々な音楽を分け隔てなく聴くが


音楽は時代や国境を越えるというのは、リズム・メロディー・ハーモニーで構成された


歌詞以外の部分の力だと思っている。


もし歌詞が、それほどまでに重要ならば、言語の壁があるため、国境は越えられないはず。



邦楽が海外で人気が出づらい理由として、日本の歌詞だからというものがある。


自分も、それが理由の一つだとは思う。


しかし、それでも人気が出る曲は出る。


代表的なのは、坂本九さんの「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」だろう。


その他にも、最近では、きゃりーぱみゅぱみゅやPerfume


SCANDALやハロプロ系などは海外にもファンを多く持つ。


もちろん、それ以外にも海外でも人気のあるアーティストはいる。


つまり、それほど歌詞は重要ではないということ。


また、自分自身そうあるべきだと思う。


それが音楽としての、本来のあり方だと思っているからだ。



とは言え、主に阿久悠さんや、小室哲哉さん、つんく♂さんなどが書いた歌詞に対して


良い歌詞だなと感じたことは多い。

2015年4月18日土曜日

アパルタメント

「大航海時代Online」で、アパルタメント(自宅)の改装をした。


今までは、地中海タイプのR(ランク)2だったけど


名声値、爵位などの改装条件を満たしたため


北海風のR3に改装することができた。



今までの地中海風 R2は、こんな感じ。




新たに改装した北海風 R3は、こんな感じ。


地中海風は、少し暗めで洗練された感じで


北海風は、比較的明るめで上品な感じかな?



アパルタメントは


装備品やアイテムを預けられる倉庫的な役割を担っている。


また家具を配置することで、預けられる数を増やすこともできる。


しかし、家具は非常に貴重で高価。


大体10,000,000以上の値段でしか購入することはできない。


その理由は、NPCなどからの購入は不可能で


高い生産スキルを持ったプレイヤーでないと、作り出すことができないため。


また、家具は消耗品で、なおかつ需要も高い。



他には、オーナメントという置物を設置することができる。


主に、石像や絵画、模型など。


これらは、発見物として発見することで、作ることが可能になる。



後は、現在は使わなくなったスキルを本にして保存することができる。


スキルを覚えられる数には上限があり、その上限に達しているとき


新たなスキルを習得するには、何かを忘れなくてはいけない。


スキルは忘れると、ランクが0になってしまう。


しかし、スキルを本にすることで、現在のランクのまま保存し


スキル枠を空けることができるため、非常に便利なシステム。



他には、執事を雇ったり、他のプレイヤーを招いたりできる。


アパルタメントのランクが上がると、アイテムや装備品を預けられる数や


オーナメントを配置できる数、他のプレイヤーを招くことができる人数などが上昇する。


次のR4になると、ただ広くなるだけではなく、内装のデザインそのものが変化するらしく


結構楽しみだったりする。


内装は、地中海風や北海風の他に、イスラム風、インド風がある。


効果的にはどれも変わらず、見た目が変わるだけ。


いつか、和風の内装にもできるようになれば良いな~と思っていたり。


実際、できるようになりそうな気もする。

2015年4月9日木曜日

教育とは

イラスト、音楽、アニメの投稿やコスプレでの出席で加点あり! 静岡大学の講義がユニーク

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1504/09/news109.html



自分は実学主義には反対で


大学は教養を深め、社会性を身に付け、視野を広げ、理論を構築し


何よりも“考える”ことと“理解する”こと、“発信する”ことを学ぶ場所だと思っている。


所謂、「リベラルアーツ」を学ぶことが重要。



教養系の学問(文系)は、「一体、何の役に立つのか」なんて言われることが多いけど


役に立たないモノなんて、この世に存在しない。


「豚に真珠」という言葉があるように


それに価値があるかどうかではなく、価値を見出すことが重要。



今や、ネットで何でも学べる“大独学時代”だから


これまで以上に、学校の存在意義というものが問われている。


しかし、知識は、ただ蓄積しても自己満足の域を出ない。


得た知識を理解し、独自の理論を築き


さらには、何かに活かすとか、発信することが重要。


そうすることで、初めて知識から教養になる。


教養は、“教”えを“養”うと書くように。



ネットは、閲覧だけではなく、発信もできるツールで


規模も全世界と、無限の可能性を秘めた夢のツールと言っても過言ではない。


他人とのコミュニケーションの敷居やハードルも低いため


より積極的かつ効率的に扱える。



しかし、こういったデジタル技術が、いくら発達したとしても


人間はデジタルな存在ではなく、アナログな存在。


結局の所、アナログ思考が重要だし、面と向かってのコミュニケーション能力が重要。


学校の存在意義は、そういった“アナログ”な部分にあるんじゃないかと思う。



ハーバードやMITでも、教養はとても重要視されていて


少人数で、とあるテーマについて議論するスタイルとのこと。


シンプルだけど、そういったスタイルが何よりも重要で


何かについて考え、理解し、理論を構築し、主張し


さらに、他人の意見に耳を傾け、理解し、互いに刺激し合い、学び合う。


人間社会の原点は、ここにあると思う。



その上で最も重要なのは、“関心を持つ”こと。


好きなコトやモノほど伸びやすい


または得意であることが多いのは、それだけ関心が強いから。


マンガやアニメ、ゲームや映画に夢中になれるなら


学問にも夢中になれる素質があると思う。


優秀な人間になるには、まず何にでも関心を持つことが重要。



教育方法自体の見直しも必要だと思っている。


学問に関心を持てない学生は多い。


一方で、上で挙げたサブカルチャーは大好きな学生は多いはず。


学問とサブカルチャー、一体何が違うのか。


もっと学問に関心を持たせるためには、どうすればいいのか。



入り口は、どこだって良いはず。


最近では、マンガやアニメ、ゲームから、歴史に関心を持った人も多いようだし。


学問に“関心を持たせる”という意味では


上で挙げたサブカルチャー、特にゲームのようなインタラクティブなモノは


大いに社会貢献できる可能性を秘めた存在だと思う。


“どう使うか”が重要。


個人で創作活動をするための環境も整っている、恵まれた時代だ。



結局の所、学問もサブカルチャーも、楽しくないと続かないし、そもそも始まらない。


繰り返すけど、何よりも重要なのは、“関心を持つ”こと。


そして学校の役割は、アナログな部分。


個人的には、そういう風に思っている。




MITが「学部では最先端なんて教えない」理由:日経ビジネスオンライン

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130227/244292/


MITは「理系バカ」が役に立たないと知っている:日経ビジネスオンライン

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130305/244525/

2015年4月3日金曜日

大航海時代Online

実は、久々に「大航海時代Online」をプレイしている。


とは言っても、無料体験版アカウントを作って、時々プレイしていたんだけどね。


メインアカウントのファーストである「SAUZAND」でプレイするのは


恐らく、6年ぶりくらいかな。


理由は、単にプレイする余裕がなかったからというだけで、飽きたわけではないんだけど。



今年で、「大航海時代Online」は10周年とのこと。


「N-Age」の日本版が、サービス終了したのも2005年。


入れ替わる様にして、「大航海時代Online」が始まった。


「N-Age」サービス終了以降、様々なMMOをプレイしてきたけど


「大航海時代Online」は、「N-Age」と並ぶほど好きなMMOだったり。


その理由は、やはり大航海時代が舞台であるということ。


魅力を語りだしたらキリがないけど


様々な文化や風土に触れることができるのが何よりの魅力。


そして、ファンタジーではなく


ある程度史実に忠実な作りになっているという点も、魅力の一つ。


個人的には、いつまでもプレイし続けたい貴重なゲーム。



久々にプレイできた理由は、「ウェルカムバックキャンペーン」により


14日間の無料プレイ期間が与えられたため。


という訳で、久々の「大航海時代Online」で様々な場所へ行ってきた。




『自宅(アパルタメント)』



『フランクフルト(ハンブルクから馬車で)』


「噴水広場」


「教会 外観」


「教会 内部」


「川」



『オクスフォード(ロンドンから馬車で)』


「大学前」


「大学 外観」


「大学 内部」



『パリ(マルセイユ or カレーから馬車で)』


「ルーブル宮殿 外観」


「ルーブル宮殿 内部」



『フィレンツェ(ピサから馬車で)』


「広場」


「ダビデ像」



『ローマ(ナポリから馬車で)』


「真実の口」


「遺跡」


「コロッセウム 外観」


「コロッセウム 内部」




ちょっと、感動したよ(笑)


やっぱり良いね。


BGMも使い回しではなく、それぞれオリジナルだったよ。



まだまだ行ったことのない場所は多い。


東南アジアやオセアニア、アメリカ、中国、ロシア、そして日本。


早く行けるようになりたい!