■福田萌、“学歴自慢”を釈明「勉強は自分が青春を費やしたもの」
(ORICON STYLE - 05月19日 15:15)
https://www.oricon.co.jp/news/2053009/full/
学歴を誇りに思うことは悪いことではないし、自然なこと。
ただ、この人の場合
「親の用意した道を歩んできたのではない」と発言したのがマズかったような。
良い教育を受けられたのは誰のお陰なのか。
学費は全額自腹?生活費は?
勉強に集中できる環境を提供してくれたのは誰?
陰ながら支えてくれたはずの親を忘れ、“自分の力”とするのは、やや驕っているような。
あと、これは個人的な意見だけど
よく言われる「親の七光り」という表現。
自分は、別に何の問題も無いと思う。
他人が努力しても得ることが出来ないコネであり、才能でもあると思っている。
こういった、自分にとって有利な物事は、積極的に利用すべきだと思う。
もちろん、恩は忘れずに。
あと、ネット上でたまに見る
「高学歴でない人間は努力を怠った人間」という意見はどうかなと思う。
そう批判する人間は、一体その人の何を知っているというのか。
今まで、何を考え、何を経験してきたのか、全て知っているのならば問題は無いが。
何かに秀でていれば、それは優れた人間に他ならないと思う。
高学歴な人間は、受験勉強に秀でていたということ。
スポーツ選手は、スポーツに秀でていたということだし
アーティストは、アートに秀でていたということ。
高学歴であることを前提条件とするのは、少し考え方が狭いと思う。
こういった考え方が多いのも
日本の大学の存在意義に問題があるせいなのかもしれないが。
重要なのは、選択肢は無限にあって、どの選択肢を選ぶかも自由だということ。
何かを好きになれるとか、何かに積極的に打ち込めるというのは
その“何か”の適性があるということ。
それを伸ばして、得意分野や能力にしていくことが重要だし
そういった価値観が広まればいいと思う。
この記事の人の場合、受験勉強の適性があり、秀でた人間だということ。
でも、大学で何を学んだかの方が重要だと思うんだけど、まあいいか。
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