2015年5月19日火曜日

優秀とは何か。

■福田萌、“学歴自慢”を釈明「勉強は自分が青春を費やしたもの」

(ORICON STYLE - 05月19日 15:15)

https://www.oricon.co.jp/news/2053009/full/



学歴を誇りに思うことは悪いことではないし、自然なこと。


ただ、この人の場合


「親の用意した道を歩んできたのではない」と発言したのがマズかったような。


良い教育を受けられたのは誰のお陰なのか。


学費は全額自腹?生活費は?


勉強に集中できる環境を提供してくれたのは誰?


陰ながら支えてくれたはずの親を忘れ、“自分の力”とするのは、やや驕っているような。



あと、これは個人的な意見だけど


よく言われる「親の七光り」という表現。


自分は、別に何の問題も無いと思う。


他人が努力しても得ることが出来ないコネであり、才能でもあると思っている。


こういった、自分にとって有利な物事は、積極的に利用すべきだと思う。


もちろん、恩は忘れずに。



あと、ネット上でたまに見る


「高学歴でない人間は努力を怠った人間」という意見はどうかなと思う。


そう批判する人間は、一体その人の何を知っているというのか。


今まで、何を考え、何を経験してきたのか、全て知っているのならば問題は無いが。



何かに秀でていれば、それは優れた人間に他ならないと思う。


高学歴な人間は、受験勉強に秀でていたということ。


スポーツ選手は、スポーツに秀でていたということだし


アーティストは、アートに秀でていたということ。


高学歴であることを前提条件とするのは、少し考え方が狭いと思う。


こういった考え方が多いのも


日本の大学の存在意義に問題があるせいなのかもしれないが。



重要なのは、選択肢は無限にあって、どの選択肢を選ぶかも自由だということ。


何かを好きになれるとか、何かに積極的に打ち込めるというのは


その“何か”の適性があるということ。


それを伸ばして、得意分野や能力にしていくことが重要だし


そういった価値観が広まればいいと思う。



この記事の人の場合、受験勉強の適性があり、秀でた人間だということ。


でも、大学で何を学んだかの方が重要だと思うんだけど、まあいいか。

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