2013年2月21日木曜日

プレイステーション4

ソニーが「プレステ4」正式発表、価格や本体デザインは別の機会に。

https://www.narinari.com/Nd/20130220608.html



ソニーは、何も分かっていないというのが個人的な印象。


高スペック化は喜ばれるだろうが、同時に安易であり、マンネリ化を促す。


任天堂の、「ニンテンドーゲームキューブ」から「Wii」への流れから何も学んでいない。


任天堂は、高スペック化路線から、遊びの革新路線へと変更した。



ゲームハードというのは、ソフトという名の“中身”を満たすための“器”でしかない。


高スペックという部分は良い。


しかし、それだけでは当たり前すぎる。


時代が進むにつれて、スペックが上がっていくのは当然。


ソニーは革新を捨てたように思える。



「ニンテンドーDS(以下DS)」では、タッチパネルによる直感的な操作。


「Wii」では、Wiiリモコンによる直感的かつ斬新な操作。


「Wii U」では、「DS」と「Wii」の利点をそのままに


Wii U GamePadによる、画期的かつ快適なマルチスクリーン。


Wiiリモコンや、Wii U PRO コントローラーの互換による


様々なプレイスタイルの許容。


他にも、Miiverseによるコミュニケーションスペースの提供など


「Wii」の時以上に、任天堂は挑戦をし続けている。



消費者には「そんなことなど、どうでもいい」と言う人間もいるだろう。


最も重要なのは、インターフェースであるということ。


個人的に「Wii U」で最も重要だと感じているのが


Wii U GamePadによる、マルチスクリーンだ。


これにより、プレイ画面はテレビ(ディスプレイ)で


メニューやマップなどといった情報関連は手元の画面でといった


使い分けができるようになる。



利点としては


1.HUD(画面表示)で、プレイ画面が狭く感じないということ。


2.武器の切り替えや、特定の情報確認などを

 手元の画面で、タッチ操作で直感的に、かつ迅速に、快適に行えるということ。


3.解像度が高くなると、文字などが小さくなるが

 画面が手元にあるため、文字が読みやすいということ。


4.その他にも、各種モーションセンサーが搭載されているため

 新たなプレイスタイルの確立できる可能性を秘めている。


5.テレビ(ディスプレイ)を使用せず、Wii U GamePadの画面のみでも

 ゲームをプレイすることができること。


これらの利点を持つ「Wii U」に、高スペック化程度では


本当の意味でプレイヤーを楽しませることは不可能だと感じる。



ソニーは、結局のところ、ソフトメーカーに丸投げしているだけのように思えて仕方がない。


任天堂は、ハードに様々な機能を搭載させた上で


ベンチマーク的役割のソフトを自ら開発し


ソフトメーカーに様々なアイディアの可能性を提案している。


それを受けて、ソフトメーカーは様々な機能を駆使して


どんな面白いゲームを作り出せるかを企画する。


未だに、世界中のどんなソフトメーカーも任天堂に勝てないのは


それができていないからだ。


なぜ「マリオシリーズ」が、ライト層からコア層まで幅広く、かつ長い間愛されているのか。


なぜ「ゼルダシリーズ」が、世界で絶大な人気を誇り続けているのか。


表面的なイメージやアイディアではなく


もっと深層心理的な部分から学んでいくべきだと感じる。


人間は、何に喜び、何を楽しみ、何にストレスを感じるのか。



かつて任天堂に所属していた横井軍平という人間が


本当のニーズについて語っていた。


消費者が、本当に求めているものは何なのか。


彼は、長時間遊べるモノクロの「ゲームボーイ」を作り


カラーだが短時間しか遊べない「ゲームギア」に勝った。



ソニーが任天堂に勝てない理由は、横井軍平や宮本茂がいなかったからだ。


“おもちゃ”職人がいないからだ。


ソニーは所詮、落ちぶれた家電メーカーという印象しかない。



任天堂のハードは、ほぼ全て持っているが、一度も壊れたことがない。


ソニーのハードは、「プレイステーション2」が、何度も壊れた覚えがある。


ハードだけではなく、コントローラーも。


そういう部分でも、差が出ているように思える。



最近のゲームについて思うことは、複雑で面倒臭く、不親切なゲームが多い。


今は昔とは違う。ゲーム以外の娯楽は数多くある。


社会人の消費者も多い。


そんな中で、少ない空き時間を利用して遊ぼうと思えるゲームが少ない。



1.操作やシステムを覚えて理解するのが面倒だから。


2.好きなときに止められないから。


この2点が、特に大きいだろう。



チュートリアルが下手糞なゲームが多い。


ゲームの時間を強制的に止めて、いくつもの説明画面を表示する


といったゲームの多いこと。


開発者は、なぜ説明書を読まずにプレイする人間がいるのかを理解していない。


自分に言わせれば、説明なんていらない。


説明をせずに、プレイヤーに操作方法やシステムを理解させるべき。


それが理想的なチュートリアルだ。


できなければ、せめてゲームの時間を強制的に止めるべきではない。


ゲームの時間を強制的に止めるということは、プレイヤーを現実に引き戻すということだ。



俺は、どうすればそういったチュートリアルを作れるかを知っている。


複雑かつ高度な技術は必要なく、発想の問題。


それを知りたければ、過去の名作と言われているゲームを振り返ってみること。



重要なのは、先人や歴史から学ぶこと。


行き詰まったときは、それが一番効果的。