2019年12月26日木曜日

今のセガ

おれたちの“セガ”が帰ってくる! セガゲームスがセガ・インタラクティブを吸収合併、新社名は「株式会社セガ」に

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/24/news137.html



個人的に今のセガは、かつてのような魅力を感じない。


挑戦的で尖った姿勢が良かったんだけど。


今のセガからは


「NiGHTS」や「ジェットセットラジオ」


「シェンムー」、「エターナルアルカディア」のような名作は


生まれないんだろうな~と思ってしまう。


「創造は生命」はどこへ?



「ぷよぷよ」はコンパイルが生み出したブランドで


セガが生み出したわけではないのに。


「ぷよぷよ」で商売するなら


「ぷよぷよ」の生みの親である、仁井谷正充さんを雇ってあげればいいのに。


それぐらいの余裕はあるでしょう。


今のセガなら。



今のセガは、Steamで“おま国”するようなメーカーになってしまった。


一番酷いのは、スクエニだけど。


おま国 + 品質の低下 + 過去の遺産


悲しいわ。

2019年12月23日月曜日

時代錯誤

■医学部入試で「年齢差別あった」 男性が順天堂大提訴へ

(朝日新聞デジタル - 12月22日 19:05)

https://www.asahi.com/articles/ASMDN7GF6MDNUTIL05L.html



未だにこんな価値観を持ち続けているとか、時代錯誤にも程がある。


昭和かよ、と突っ込みたくなる。


今は、平成も過ぎ去り令和。21世紀だぞと。


企業の人材採用でも問題なのに、大学で年齢差別とか。



年齢は、変えようと思っても変えることができない。


人種や性別などと同様。


そういった概念を理由に不当な扱いをすることは倫理的に許されることではない。


先進国であるという自覚があるのであれば、今すぐ捨てるべき価値観だと思う。


チャンスというのは、誰にでも平等に与えられなければいけないと思っている。


それを活かせるかどうか、掴めるかどうかが、個人の問題。


チャンスすら与えないというのは、論外だろう。



以下のサイトでも、年齢差別によるリスクなどが書かれている。



『「35歳上限」の中途採用がもたらす恐るべき機会損失 | INOUZTimes』

https://inouz.jp/times/lucentdoors_tensyoku/



日本という国は、本当に年齢に拘りすぎだと思う。


こういった採用問題だけではなく、日常生活においても。


平気で、おっさん・おばさんと呼んだり。


もう何歳なんだからとか、まだ何歳だからとか。


無意識のの差別が、日本では横行している印象。

2019年12月22日日曜日

ダイよりビィト

『ダイの大冒険』来秋28年ぶり完全新作で再びアニメ化 ドラクエ世界観の人気漫画が原作

https://www.oricon.co.jp/news/2151514/full/



「ダイの大冒険」も名作だとは思うけど


個人的には「冒険王 ビィト」の方が好き。


2006年以来、病気療養のため長期休養していたけど


2016年に、10年ぶりに再開。


連載当初から、ずっと読み続けてきたマンガで


今の時代では貴重な、王道の冒険モノ。


再開後も、全く違和感のないクオリティで感心させられた。


今では、マンガは「冒険王 ビィト」しか読んでいない。


アニメは、最後に観たのはいつか思い出せないほど前から観ていない。


最近は、オタク臭いマンガやアニメばかりで


正統派なマンガやアニメが、ほとんどない。


ゲームの方も、「ファイアーエムブレム」が、あんな感じになっちゃったり。


そういったテイストが、個人的に苦手なもんで。



「ダイの大冒険」の再アニメ化に関しては、何よりも心配なのはクオリティ。


作画や声優など、昔のアニメに比べて、今のアニメのクオリティは


お世辞にも高いとは言えない印象。


無個性な声優ばかりで、話題になるのは、ビジュアルやアイドル性。


個人的な意見としては、声優は黒子に徹しろよと思う。


山寺さんのようなマルチに活躍できる人間なんて、ほとんどいないはず。


まず、本業をしっかりしてほしい。



肝心の声優は、亡くなっている方が多い。


そもそも、主人公のダイの声優だった藤田淑子さんが亡くなっている。


あの声じゃないという時点で、かなり不安。


問題は声優だけではない。


再アニメ化で成功した例を、自分はほとんど知らない。


ドラゴンボールも、最低記録を塗り替えるほど、最悪だったようだし。


そもそも、ドラゴンボールは、個人的にピッコロ編までしか好きではない。


なので、再アニメ化云々以前に、「Z」以降のアニメ自体が好きではない。


鳥山さんはギャグの人だと思っているので


シリアスな格闘漫画になった時点で、本領が発揮できていない。



そういった不安要素を全て払拭できたら、素晴らしいと思うけど


実際は、かなり難しいだろうね。


昔の「ダイの大冒険」を観ていた方が楽しめる気がする。


と言うか、「冒険王 ビィト」の再アニメ化の方が、個人的は待ち遠しい。


今は連載スピードがゆっくりだから難しいだろうけど


いつか、また続きをやってほしい。

2019年12月5日木曜日

全面的に支持

「ミス/ミスターコンテストは一切容認されない」 法政大学が「ミスター法政」について声明を発表

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/02/news090.html



まず最初に結論。


なぜ、ダメなのか。


その答えは、評価軸が“容姿”のみ、もしくは“容姿”がベースになっているから。


ダイバーシティ(多様性)を尊重するということは、多様な評価軸で判断すること。


そういった要素がないため、ダメ。


そして、“容姿”というのは先天的なもの


生まれ持ったもので、後から大きく変えることは容易ではない。


身長や、顔のパーツなどは、整形でもしない限り、生まれ持ったままの状態。


つまり、容姿が整っているとされている人は、単に運が良かっただけ。


そういった要素に、優劣をつけるのは倫理的に問題がある。


美しく見せる技術は、生まれ持ったものではなく、努力して得たもので実力だ


と言う人もいるが、そんなのものは+αに過ぎない。


第一、そんなに自信があるのであれば、学外のもっと大きなコンテストに挑戦するべき。


それこそ、ミス・ユニバースとか。


学内でのコンテストなど、何の意味もないと個人的には思う。



レイシズム(人種)、セクシャリズム(性)、エイジズム(年齢)、ルッキズム(容姿)など


差別的な価値観を助長するものだと思う。


実際、近年そういった価値観に傾きつつあるように思える。


人を見たとき、まず容姿。


そんな人間が多くなっているような気がする。


YouTubeのコメントなどを見ても、容姿の話が多いこと。


例えば、ZARDは歌手なのにもかかわらず


動画に投稿されているコメントは、大体容姿に関するもの。


それ以外にも


顔だけではなく、身長やスタイルなどの体形、髪型、化粧なども。



一言で差別と言っても様々で


今回問題になっているのは、ルッキズム。


容姿というのは、基本的には生まれ持ったもの。


容易に変えることは不可能。


では、容易に変えることができるものであれば差別は許されるのか。


もしくは、差別とは言わないのかと言えば、そうではないと思う。


例えば、学歴、職業、収入、住所などは、変えることができる。


では、その特定のカテゴリに属する人間が差別されていることに対し


「差別されたくなければ、変えればいい」


という理屈が、果たして成立するのか。


自分はしないと思っている。


特定のカテゴリに属しているだけで差別されるのは、やはりおかしい。



今回の件は、法政大学はダイバーシティを重視した結果だが


このコンテストは、人格ではなく容姿という評価軸をベースに行われるイベントで


ダイバーシティとは相反するだろうということ。


それを否定したいのであれば


従来の、容姿の整った人間といったイメージからかけ離れた候補者が


グランプリに選ばれたという実績が必要なのではないかと思う。


そういった実績があれば、必ずしも容姿の整った人間が有利というわけではないことが


証明できるし、評価軸が容姿のみではなく、多様なものであると証明できる。


しかし、実際のところ、それはほぼ無理だろう。


なぜなら、この手のコンテストの評価軸は、容姿がベースになっていることは明らか。


従来の、容姿の整った人間といったイメージの候補者がグランプリに選ばれなかったら


「この顔でグランプリ?」


と言う人間は必ず出てくる。


と言うか、実際にそういったコメントをたくさん見てきた。



では、評価軸が多様であるというのはどういうことなのか。


個人的に、ゲームに例えると分かりやすいと思っている。


ゲームとして優れている作品は、一体何で決まるのか。


それは、一言で表すのは不可能だろう。


これは、あくまで個人的な考えだが


自分の、ゲームの評価軸は以下の通り。



■ キャラクター


■ ストーリー


■ 世界観



■ インターフェース


■ 演出


■ キャラクターデザイン


■ グラフィック


■ モーション


■ レベルデザイン



■ SE


■ 音楽


■ 声



■ AI


■ カメラ


■ ゲームバランス


■ システム


■ 自由度


■ スピード感


■ 操作性


■ テンポ感


■ 難易度


■ パフォーマンス


■ ボリューム


■ やりこみ要素


■ ユーザビリティー


■ リプレイ性



自分は、上記の26個の評価軸から、総合的に判断している。


これこそ、多様な評価軸ということだと思う。


今回の件で言えば、容姿に近い評価軸は、恐らくグラフィックだろうが


グラフィックの美しいゲームであれば、本当に優れたゲームと言えるのか?


自分は、そうは思わない。


人間も同様で、容姿というたった一つの評価軸で


一人の人間を評価すること自体が問題だと思う。


容姿を肯定すること自体は良いじゃないかというコメントもあったが


特定の容姿が肯定されるということは、それに相反する容姿は否定されるということ。


実際、そのようにして勝ち残っていくものだ。


容姿というたった一つの評価軸で。



この件に関するコメントで、試験や競技などと同列に語っている人間がいるが


全く別物であり、同列に語るべきではないと思う。


試験や競技は、競争であり、勝ち抜くために努力した後


さらに運が良くなければ勝つことはできない。


今回のコンテストが、そういったものと比較されるのはおかしい。


こんなコンテストよりも


より社会貢献した学生を選出するコンテストの方が、ずっと良いんじゃないかと思う。


学生時代に、どれだけボランティアなどの社会奉仕活動をしてきたかという。


ただでさえ、日本は社会奉仕活動に対して、欧米の先進国と比べて消極的だし


近年は、自己責任論者が増えてきたわけだし。



個人的な意見として言わせてもらえば


容姿が優れているとか、胸が豊かであるとか、身長が高いとか


そういった価値観は、非常に動物的な価値観だと思っている。


進歩的な価値観とはかけ離れた、原始的な価値観だと思ってしまう。


動物も、容姿などで交配する相手を選ぶという。


何も変わらないではないかと思う。


いい加減“進歩”するべきだと思う。

2019年10月9日水曜日

まだ結婚できない男

見る前から、キャストを見る限り、不安と嫌な予感しかなかったが

実際観てみると・・・

やっぱり・・・という感じだった。


前作はリアルタイムで観ていたし、過去に少しだけ日記にも書いていた。

『おもしろい!』
https://sauzand.blogspot.com/2006/09/blog-post_12.html


今回、このドラマを観て感じたことを書いていく。

まず、良いと思った点。

主題歌を歌う、ELTの持田香織の歌声が良くなった気がする。

初期の頃の歌声に、少し戻ったような気がした。

前作のドラマでは、初期の持田香織とは全く異なる歌い方だったが

「スイミー」の場合、逆に、それが味になっていて良かった。

もちろん、今回も良かったんだけど

初期の頃(fragileや、Time goes byよりも前)の歌声に戻っているような気がした。

正直、今回観た中で一番感動したのが、そこだった(笑)

初期の持田香織の歌声は本当に良かったからね。

初期の持田香織


「スイミー」時代の持田香織


良いと思った点は、これくらいかな・・・(笑)


次に、良くなかったと言うか、違和感を覚えた点。

まず、主人公が結婚していない点。

前作の最終回では、女医にプロポーズをし

その後、家の設計案が浮かばないから結婚できないと言ったものの

終盤で、自宅に人を入れない主義の主人公が、女医を自宅に招く。

家の模型が出来上がっているシーンなどから、明確に描かれてはいないものの

結婚を予感させる演出だった。

これは、個人的には最高の物語の締めくくり方だと思っている。

しかし、続編では結婚していないという。

あの感動は何だったんだ?あの演出は?

女医の父親まで出てきたのに。

今回のエピソードで、雑に数十秒、前回の話に触れて終わり。

しかも、あっさり金持ちと結婚。

あれだけ、女医は結婚に関して色々と悩んでいたのに、安直すぎないか?

前作で、過去にプロポーズされて嬉しかったけど

相手が、すぐに子供が欲しい人だったため、価値感が合わず別れた。

キャリアを中断したくないとか、一生医者をやっていくって言っていたのに。

前作は、マジで何だったんだ?

率直な感想としては、まずこんな感じ。


そして、前作と違って現代の社会的な問題とリンクさせすぎ。

話も重すぎ、暗すぎ。

冒頭から、生涯未婚率とか持ち出してくる。

そんな社会派なドラマじゃなかったでしょ。

その後も、ブラック企業とか、ネットの誹謗中傷とか、離婚裁判とか。

妙に生々しく、殺伐としていて、シリアスな物語展開。

前作での金田の代わりが、ネットでの主人公への誹謗中傷。

ネガティブすぎ。殺伐としすぎ。

しかも、この更新のチェックって、最終回まで続くってことでしょ。

こんなネガティブなシーン、毎回観たくないでしょ。

面白くもないし。

全体的にネガティブ要素が満載。

物語自体も、結婚や恋愛ばかり。

次回は婚活アプリだって・・・(笑)

時事ネタ多すぎ。

前作は、もっと気楽に観れる、のほほんとしたドラマだったじゃんか。

平和で、まったりしていて

当時学生ながら、こんな生活良いな~と憧れたりしたんだけど。

周りの人間も、何だかんだで良い人ばかりで。

和気藹々感があって、楽しそうだなと。

今回は、全くそんな感じがなかった・・・。

終盤の講演のシーンでは、何故か感動路線。

何か、そんなドラマじゃなかったでしょとしか・・・。

そういうの、個人的に、このドラマに求めてないんだけどな・・・。

このドラマって

フィクションとして、どこか親近感を覚えながら楽しむモノだったはず。

あるあるとか、共感しながら。

独身であることを問題視する感じではなく

むしろ、独身生活を楽しむ主人公の日常を覗くようなドラマだったはず。

独身生活を楽しんでいる主人公が、珍妙だけど可愛らしく感じるような。

違和感がすごい。


肝心のキャラクターも微妙すぎる。

前作で毎回登場した金田も登場せず、代わりに主人公への誹謗中傷キャラ。

金田も結婚できない男だけど、主人公と同じく独身生活を楽しんでいるキャラだった。

つまり、ポジティブなキャラクターだった。

金田以外のキャラクターも、ほとんど登場せず。

親戚と部下だけか。

前作の隣人は引っ越したし、金田役の高知東生も難しいだろうけど

仕事仲間だった高島礼子演じるキャラクターは、どこへ行ったんだ?

前作では悩んだ末、引き抜きを断ったのに。

さくらが演じた部下の恋人もどこへ?

しかも、余計なキャラクターが増えすぎじゃないかと。

わちゃわちゃしてるだけで、本当に必要なキャラクターなのかと。

キャラクターが増えたせいで、部下の存在感も薄くなった。

前作は、限られたキャラクターだけだったし

どのキャラクターもユニークで、役者も演技が上手かったから

世界観や雰囲気に入り込めた。

アットホームで和気藹々とした感じが出ていた気がした。

今回では、それは感じられなかった。

おまけに、主人公の存在感も薄くなった気がする。

と言うのも、主人公以外の脇役キャラクターが主張しすぎている気がするんだよね。

前作では、偏屈な主人公に周りのキャラクターが振り回される感じだったんだけど

今回は、主人公が振り回されている感じがした。

シーンによっては、主人公そっちのけで物語が進んでいると感じたり。

あと、無個性で真面目なだけのキャラクターが多い。

普通すぎて、魅力が乏しい。

役者の演技力も、前作と比べるとイマイチ。

前作は、夏川結衣や高島礼子、国仲涼子や高知東生など

演技の上手い役者が揃っていた。

また、さくらやSHEILA、その他、店員役や看護師役の役者なども良かった。

今回は、稲森いずみ以外微妙。

上でも書いたけど、キャラクターの魅力も乏しいから

観ていて、前作ほど楽しめなかった。


主人公にも違和感を覚えた。

冒頭で、設計した家について語るシーンがあるが

前作の印象とは、まるで違っていた。

前作では、性格は偏屈だが良い家を作るキャラクターで

明るくて、開放的で、みんなが遊びに来るような家と、本人も語っている。

依頼主の予算の都合に合わせて、最初の設計案を変えて

依頼主の需要に合わせた設計をしたり。

それを聞いた女医が、主人公を褒めるシーンなんかもあった。

今回では、依頼主を引かせる設計案だった。

また、講演のシーンで

「自分が住みたい家を作りたいのかも」と語っているシーンにも違和感。

前作では、最終回で女医に、他人の住む家ばかりを設計してきたため

自分や自分の大事に想っている人の家を設計することができなかった

イメージが湧かなかったと告白している。

あとは、キャラクターや物語とは関係なく違和感を覚えたシーン。

それは、弁護士の判断。

ネットの誹謗中傷に関して、個人の感想で済まそうとしているが

名指しで、無能やら3流やら、センスのかけらもないやら

老人を食い物にしているやら卑劣極まりないやら

明らかに名誉や尊厳を傷つける内容なのに

誹謗中傷にならないって何を言っているんだと思った。

この辺りは、別にどうでもいいと言えばどうでもいいんだけど。


このドラマの方向性が分からない。

何か、フツーの平凡なドラマになったという印象。

時事ネタを扱うタイプの。

今後は、もう観ないかな。

来週も中々残念そうな感じだし。

期待はしていなかったけど、残念なドラマだった。

同じ人が書いた脚本なのか?と思うほど。

ちなみに前作は、個人的には日本のドラマの中で一番好きな作品でした。

夏というのもあってか、爽やかで楽しげで良かった。

2019年9月27日金曜日

誕生日

今日は、自分の誕生日でした。


でも、今の自分にとって年齢は、ただの数字でしかないので


特に意味のあるものではないかなと思っています。


とは言え、形式的でも、そうでなくても、祝ってくれる人がいるというのは


嬉しいことですね。



自分の近況としては


まず、「World Map」のリニューアル作業。


『Yahoo!ジオシティーズ』時代の「World Map」と


さらに、それ以前の「World Map」のデータをHTML5で書き直し


過去のデータとして、閲覧できるようにしようと思っています。


そのための作業は、一通り終了し


現在は、新しい「World Map」のレイアウトなどを考案中。


また、この機会に、独自ドメインを取得しようかと思っています。


サーバーは、まだ何処にしようかと悩んでいる最中。



最近は、ゲーム開発を進めています。


ゲーム開発自体は、ずっと以前(mixiを始めるよりも前)から


し続けているのですが、現在は「VX Ace」での開発を真剣に検討しています。


以前も、何度か「VX Ace」での開発を検討していましたが


『「RPGツクール2000」から「RPGツクールVX Ace」への移行』

https://sauzand.blogspot.com/2012/12/rpg2000rpgvx-ace.html


『RPGツクールVX Ace』

https://sauzand.blogspot.com/2015/03/rpgvx-ace.html


『続・RPGツクールVX Ace』

https://sauzand.blogspot.com/2015/03/rpgvx-ace_19.html


ついに、本格的に計画を始動させようと思っています。


現在、主に行っている検証は、所謂「スクリプト素材」です。


どんなものを導入しているのかは、数が多いため書ききれないのですが


システムや表現、ユーザビリティーに関する素材です。


また、画像素材は、「2000」のものを使用するつもりです。


というのも、個人的に「2000」の歩行グラフィック素材を気に入っており


なおかつ、「VX」以降の歩行グラフィックが、あまり好みではないためです。


XPの歩行グラフィックなども検討したのですが


「2000」と比べて、バリエーションに乏しく、改造もしづらいので


今のところ、使用する予定はないです。


画像素材の解像度の問題で


どちらかに統一しないと、おかしなことになってしまいます。


となると


「2000」の歩行グラフィックを諦めるか、「XP」の歩行グラフィックを諦めるか


の、どちらかになるわけで。


そう考えると、個人的に「XP」は中々厳しいです。



マップ素材に関しては、「XP」以降の素材を利用することが可能だと判断しました。


「XP」以降のマップ素材で組んだマップ上を


「2000」の歩行グラフィックのキャラクターを歩かせてみたところ


思ったほど違和感がありませんでした。


ちなみに、「2000」の歩行グラフィックは解像度の問題で


そのまま使用すると、小さいキャラになってしまうので


2倍に拡大してから使用しています。


「XP」以降のマップと併用する場合は


「2000」のマップに合わせるため、一度解像度を1/2に縮小した後、2倍に拡大します。


すると、低解像度感が出るため、違和感が無くなります。



というような検証を最近は、していました。


個人的には、開発自体よりも、素材収集&素材制作の方が大変です。


思うような素材が無かったり、ちゃんと機能するように素材を編集したり・・・。


地味で、手間のかかる作業です・・・(笑)


しかし、順調に進んではいるので、特に問題はありません。


計画としては、まず「2000」でゲーム開発をした後


「VX Ace」に移植+αの完全版として開発をしていこうと思っています。



ということで、「World Map」とゲームの開発を


これからも頑張って進めていきたいと思います。

2019年7月31日水曜日

コピーされてこそ本物

■京アニ、放火容疑者と同姓同名からの応募作品を確認

(朝日新聞デジタル - 07月30日 19:43)

https://www.asahi.com/articles/ASM7Z65X6M7ZPTIL034.html



以前に、似たような日記を書いたんだけど


『気持ちは理解できる。』

https://sauzand.blogspot.com/2011/10/blog-post_23.html


クリエイターにとって、作品というのは我が子のような愛しく大切な存在。


「FINAL FANTASY」シリーズの生みの親である、坂口博信さんも


作品のことを、娘のような存在と語っている。


これは、モノ作りに携わる人間なら誰しもが抱く感情。


そんな愛しい作品を応募するということは、自慢の子供を他人に紹介する


または、娘を嫁がせるようなもの。


その結果、作品のアイディアだけ盗まれたということになれば


大事な子供を誘拐された、娘が性的被害にあった、恋人が寝取られたようなもの。


これは、何かを生み出したことがある人にしか分からない感情かもしれないが


強い怒り、もっと言うと、殺意に近い感情が込み上げてくる。



とは言え、“コピーされてこそ本物”なのも確かだ。


ココ・シャネルも言っていたし、横井軍平さんも言っていた。


横井軍平さんは、マリオやゼルダなどの生みの親である宮本茂さんの師匠的存在。


ウルトラハンドやゲーム&ウオッチ、十字キー、ドンキーコング、ゲームボーイなど


数々の作品を生み出した、日本のスティーブ・ジョブズ。


上記の作品を生み出したとき、多数の類似商品が出たらしい。


そんな、様子を見て発言したのが“コピーされてこそ本物”という言葉。



そんな横井さんも、就職活動は全滅で、任天堂に設備点検係として雇用された。


そこから、単なる花札・トランプ会社だった任天堂を


世界屈指のビデオゲーム会社に育て上げるのだからすごい。


そんな横井さんは、技術よりもアイディアだと言っていた。


そのアイディアを生み出す企画力で、活躍されてきた人だ。



今回の件に対しての反応で


「一次審査で落とされるぐらいだから駄作だったんだろう」とか


「駄作が採用されなかったからって逆恨みかよ」といった意見が多いことに驚く。


そもそも、今回の容疑者が応募した作品に目を通したことがないのにも関わらず


なぜ、そういった発言ができるのかが理解できない。


オーディションなどで、書類審査で落とされた人間が


その後に大成するというのは、珍しい話ではない。


エイブラハム・リンカーンも、何度となく落選した後に大統領になった。


ウィンストン・チャートルも、士官学校を何度も落とされた。


ウォルト・ディズニーも、新聞社を解雇された際に、想像力に欠けた人間と言われた。


ハリソン・フォードも、当時の副社長に才能が無いと言われた。


ビートルズも、大手レコード会社に軒並み契約を断られていた。


エルビス・プレスリーも、ラジオでのパフォーマンスを一度でクビにされた。


今が駄目だから、今後も駄目とは限らない。


少なくとも、成功者は諦めなかった。


だから今回の容疑者も、凶行に走らずに、諦めずに頑張ってほしかったな~と


ジャンルは違えど、クリエイターの端くれとして思ったりする。



前から思っていたことだけど、クリエイターと経営側の対立というのが気に食わない。


最近問題になっている吉本興業の件もそうだが、経営側はクリエイターを軽視しすぎ。


ワイドナショーで、松本人志さんも言っていた


「芸人いてのあんた達でしょ」


という言葉は、確かにその通りだと思う。


今回の件も、応募者側の作品を軽視しすぎた結果という見方もできる気がする。


応募者側は


「どうぞ、自分のアイディアを好きに使ってください」


という気持ちで応募しているわけではないだろう。


狂信的な京アニ信者なら、そういう風に思うかもしれないが。


これは、アニメ業界に限らず言えること。


アイディアが欲しいなら、引き抜け。


要らないのなら、盗むな。


アイディアだけ拝借して、生み出した本人は要らないなんて都合が良すぎる。


こういった悪質な行為をする企業も、残念ながら存在するようなので


全てのクリエイターは、自分のホームページを持ち


自分の作品を公開してから、応募したほうがいいかもしれない。


そうすれば、これは自分の作品だと堂々と主張できるし、根拠もある。



何も生み出せない人間に限って、アイディアを軽視するというのは本当かもしれない。


自分が何も生み出すことなく、便利で快適な生活が享受できているからかな。


想像力によって生み出されるアイディアというのは


知識よりも技術よりも、ずっと価値があると個人的には思っている。



『イマジネーション研究所 on TDL&EPCOT』

https://sauzand.blogspot.com/2011/09/on-tdlepcot.html

2019年7月24日水曜日

言っていることとやっていることが違う

加藤浩次「吉本興業」退社はいったん保留 大崎会長との会談「平行線のまま」「合致点が見つからない」

https://www.oricon.co.jp/news/2140772/full/



連日、この件が報道され続けているが


一連の報道と、それに対する様々な人のリアクションを見て思うのは


“言ってることとやっていることが違う”ということ。



この件に関して、個人的な意見としては


宮迫さんや田村さんを含めて、今回問題となった芸人たちは


世間で言われているほど悪いことはしていないと思う。


以前から、プライベートで反社会的組織と付き合いがあるというのなら大問題だが


相手を反社会的組織の人間だと知らずに仕事をし


それに対するギャラを受け取ってしまった。


やらかしたな~とは思うが、そこまで批判されるほどか?と思う。


嘘をついた件に関しても、たしかにマズいことをしたとは思うが


人間の心理からして、理解できないものではない。


合理性のみで判断すれば、当然いけないことではあるが、人間は非合理的な生き物。


理屈だけでは、どうにもならんでしょう。


そもそも


「詐欺被害にあった人の気持ちになったら」


ということを言っている人もいるが


詐欺被害にあった人の立場で物事を考えられるのであれば


同様に、宮迫さんや田村さんの立場になって物事を考えるべきではないかと思う。


あまりに一方的すぎると言うか、偏った視点、偏った意見が多いという印象。



無期限謹慎&その期間中の社会奉仕活動くらいで十分だと個人的には思う。


それで復帰した時には、「今後二度としないよう気を付けます」で良いんじゃないかと。


これだけのことで


家族のいる人間の生業を廃業に追い込むのは、いくらなんでもやりすぎ。


本人たち自身が法を犯したわけでもあるまいし。



よく


「日本は失敗を許さない国。チャンスを与えない国。リカバリーがしづらい国。」


という意見が見られるが、そういうことを言っている割に


他人の失敗に厳しいし、チャンスを与えない。


リカバリーをする機会を奪っているのではないかと思ってしまう。


“言っていることとやっていることが違う”んじゃないか?と個人的には思う。



この国や、社会を作り出しているのは、政治家や官僚だけではなく国民全員。


上でも書いたように、“失敗を許さない社会”を作り出しているのは


紛れもなく、国民自身。


その自覚がないから、“言っていることとやっていることが違う”なんてことになる。


他人が、どうにかしてくれるものだと思っている。


“社会=自分以外”だと思っている。


だから、他人事のように、「社会は~」「日本は~」と言い始める。


社会や、この国を変えたいのなら、まず自分から変わるべき。


極端な話


日本人全員が、そういった気持ちを持てば、社会や日本は変わる。



差別反対、寛容になるべき、チャンスを与えるべき。


そう言っている人間が、無意識の内に


他人に対して差別をしていたり、不寛容だったり


チャンスを与えていなかったりするのではないか。


そういった他人に厳しい意見を見るたびに、気持ち悪いな~と思う。


いい加減気づいたほうがいい、自覚したほうがいい。


こういった、不寛容な、差別的な、失敗を許さない


チャンスを与えない社会を作り出している


または、それに加担しているのは、自分自身だということに。

2019年5月30日木曜日

甘えるなと言う方が甘えている

■児童襲撃の容疑者「引きこもり傾向」=親族が市に相談、接触はせず-川崎

(時事通信社 - 05月29日 18:31)




以前にも同じタイトルの記事を書いた。


『甘えるなと言う方が甘えている』

https://sauzand.blogspot.com/2018/04/blog-post_28.html


今でも、同じように思う。


その理由としては、他人の気持ちに理解を示そうともせず


自らの価値観を押し付け、その上「甘えるな」という


思考停止かつ精神論で相手を突き放し、


当然、その言葉を受けた人間が、どのように思うのかなど考えず


むしろ、自分の言っていることは正論で


お前が間違っているからだと、正当化しているため。


こういった発言をする人間ほど


自分は甘えていない、自分の力で頑張ってきた、自立しているなどと


思い込んでいる可能性が高い。


しかし現実は、甘えていない人間などいないし、真の意味で自立など不可能。



極端なことを言えば、自分たち人間は、酸素が無ければ生きていけない。


植物による光合成によって生かされている身だということ。


さらにベジタリアンでなければ、家畜や魚を食べて生きている。


もっと身近な話で言えば、多くのサラリーマンは会社に守られている。


そして、日本の法や警察によって治安が維持されており


一般市民は、国や公務員によって、基本的に平穏に暮らすことができている。


高学歴だったとしても、それは勉強できる環境を整えてくれた家族のおかげ。


仕事で成功することができたとしても、それは同僚や上司、取引先などの協力


また、友人や恋人、パートナーや子供など、家族の支えがあったから。


様々な品物が手に入るのも、それらを開発、製造、出荷、販売している人がいるから。


街が綺麗で生活しやすいのも、その状態を維持してくれている人のおかげ。


水、電気、ガスなどが、いつでも使用できるのは


インフラを整え、維持してくれている人のおかげ。


全てにおいて、他人の力で成り立っているのが、この社会だと分かるはず。


それに気付かず、甘えていない、依存していない、自分の力だなどと


言ったり思っている人間がいたとしたら、傲慢すぎるし、未熟すぎる。


日本には、生活保護などの社会福祉によるセーフティーネットもある。


共存、共助の社会だ。


そういった意識の欠けた人間が、弱者を見下したり誹謗中傷をする。


本来ならば、手を取り、引っ張り上げてやらねばならないはず。


例えるなら、転んでいる人間に、石を投げつけたり蹴飛ばしているようなもの。



誰でも、そういう状況に陥ってしまう可能性があるということを自覚する必要がある。


今まで、無事にやってこれたのは、あなたの力ではない。


運が良かったのと、周りに助けられていたからだ。


運が悪ければ、事故に遭う、いじめに遭う、経済的に苦労する、精神的に苦労する。


でも、周りに助けてくれる人がいたとしたら?


事故に遭わないように守ってくれる人、いじめに遭っても庇ってくれる人


経済的に援助してくれる人、自分の気持ちを理解し、共感してくれる人。


それだけでも、人生は大きく変わるはず。


あなたが、どの立場の人間になるかは分からない。


事故を起こす側かもしれないし、事故に遭う側かもしれない。


いじめる側かもしれないし、いじめられる側かもしれない。


今は経済的に豊かでも、突然貧しくなるかもしれない。


精神的に苦労させる側かもしれないし、精神的に苦労させられる側かもしれない。


でも、もしかしたら


事故から守ってあげる側かもしれないし、守られる側かもしれない。


いじめに遭っている人を庇う側かもしれないし、庇われる側かもしれない。


経済的に援助してあげられる側かもしれないし、してもらえる側かもしれない。


誰かに優しくできる人間かもしれないし、優しくしてもらえる人間かもしれない。



今回の事件も、突然起こったことではないはず。


負の連鎖が続き、それが限界になった結果かもしれない。


悪いことを経験し続けたり、経験させ続ければ、“負の連鎖”になってしまうが


自分は、“正の連鎖”もあると思っている。


それは、“恩送り”と呼ばれていて、欧米では“Pay It Forward”と呼ばれている。


下の動画でも出てくる言葉。


また、その後に登場する紳士も素晴らしい発言をする。


「そうなってみないと、それがどんなものか分からない」

「難しい時期ってのは誰にでもある」

「ひもじい思いをしたことは?誰かの助けが必要だったことは?

 抜け出したくなるような不幸を感じたことはない?

 なぜ彼がああなったか君は知りもしない。」

「誰でも難しい時期はある。でも皆なんとか乗り越えてきた。

 その時は必ず誰かが手を差し伸べてくれたり背中を押してくれている」


「Pay It Forward」6:12~



欧米の富裕層は


“ノブレス・オブリージュ”という精神を持ち、実践している人が多い。



『ノブレス・オブリージュ!海外のケタ違いの慈善活動家たち!! - NAVER まとめ』

https://matome.naver.jp/odai/2136247873138961501



税制の事情もあるかもしれないが、それだけとは思えない。



『ビル・ゲイツ氏、大富豪は「もっと税金支払うべき」 納税額は1兆円超 写真1枚 国

際ニュース:AFPBB News』

https://www.afpbb.com/articles/-/3163230



要は、稼がせてもらった恩返しを社会に対してしている。


自分の力だけではなく、幹部がいて、社員がいて、顧客がいる。


そのおかげで、成功できたということ。


素晴らしいことだと思う。



今回の件に関して、こういった記事がある。



『川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) - 個人 - Yahoo!ニュース』

https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/



自分は、この記事を支持したいと思う。


記事の中で、秋葉原で起きた事件について触れられているが


自分も過去に、その事件についての記事を書いた。



『こういう事件ってさ』

https://sauzand.blogspot.com/2010/07/blog-post.html


『秋葉原の事件に思うこと』

https://sauzand.blogspot.com/2011/03/blog-post_8.html



「無差別に人を殺すなんて酷い」というのは、誰もが持つ感想だと思う。


しかし、「一人で死ね」という意見は違う。


自殺教唆にも、なりかねない。



綺麗事だと言う人間もいるが


個人的に、“綺麗事”だと言って否定するだけの人間は


“向上心の無い怠け者”だと思っている。


より良い社会にするために、皆それぞれ努力している。


理想の社会を現実にするために。


それは歴史を学べば分かるはずだ。


飛行機によって、世界中を高速で移動できるようになった。


過去には不治の病だったが、現代では治る病になった。


過去は、もっと治安が悪く、人権など無かったが、現代は違う。


人間は、確かに世界を良くしてきたはず。


当時の綺麗事や理想を、現実にしてきた。


せめて、その邪魔をするのは止めるべき。



個人的に、他人に不寛容な人間は信用しない。


他人に対して、日常的に厳しい非難を繰り返している人間は


選民思想を持っていたり、偏った視点でしか物事を見ることができなかったり


思慮が浅かったり、表面的な部分でしか物事を判断できなかったりする。


そういった人間は、ネット上に、たくさん存在する。


まるで、日本人全員がそういった価値観を持っているのかと錯覚してしまうくらい。


基本的に、ネット上では


匿名で、気兼ね無く、現実世界でも言わないようなことを好き放題に書ける。


そういった書き込みに対しての責任を、追及されないことが非常に多いため


一般的な日本人のイメージとのギャップが激しく


所謂、民度がとても低い状態。


そういった現状に対して、何の違和感を抱かない人間も多く


ネットの法整備も整っているとは言い難い状況のため


ネット上のモラルの低下は、より顕著になり


かつ、低年齢化が進んでいるように思える。



「YouTube」のコメント欄などが良い例で


全てのサイトの中で屈指の民度の低さを誇っているように思える。


その他にも、代表的なのは、「ニコニコ動画」や「Yahoo!ニュース」


「ガールズちゃんねる」や「5ch(2ch)」


様々な「まとめサイト」や「Twitter」など、例を挙げればキリがないほど。


比較的“マシ”と言えるのは「はてなブックマーク」だが、酷い時は酷い。


つまり、基本的に日本人が利用するサイトは、ほとんど全て酷い。


特に、上でも書いた通り、「YouTube」のコメント欄は特に酷いため


公式チャンネルの日本版だけ、コメントを禁止にしているゲームメーカーが多い。


その証拠として、いくつか紹介しておく。



『Nintendo 公式チャンネル』

https://www.youtube.com/user/NintendoJPofficial


『Nintendo』

https://www.youtube.com/user/Nintendo



『PlayStation Japan』

https://www.youtube.com/user/playstationjp


『PlayStation』

https://www.youtube.com/user/PlayStation



『スクウェア・エニックス』

https://www.youtube.com/user/squareenix


『Square Enix』

https://www.youtube.com/user/SQEXMembersNA



『CapcomChannel』

https://www.youtube.com/user/CapcomChannel


『Capcom USA』

https://www.youtube.com/user/CapcomUnityVideos


『Official Capcom UK』

https://www.youtube.com/user/CapcomEuro



欧米向けのチャンネルと比較すると、コメント欄の有無が確認できる。



厳密に言えば、ネット上で繰り広げられる誹謗中傷は


自殺教唆、名誉棄損、侮辱、プライバシーの侵害などに該当する可能性が高い。


たまに、逮捕者が出ているように、その気になれば特定し、逮捕することができる。


しかし、自分がそうなるわけがないと思っている。


何故なら、みんなやってるから。


それが、当たり前のように感じてしまっている。


実際、過去にこういった事件があった。



『「自殺教唆容疑で大学生逮捕(LINE)」から考えるインターネットと自殺問題(碓井真史) - 個人 - Yahoo!ニュース』

https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20140221-00032879/



面と向かっておらず、相手の表情も見えないため


そういった行動へのハードルが、とても低くなっているのだろう。


しかし、ネットを介しているだけで、相手は現実と同様に人間。


現実では真面目でも


ネットでは上で書いたような行動をしている人間も多いかもしれない。


見ず知らずの人間に、誹謗中傷を書き込むことは


現実で、突然、見ず知らずの人間に暴言を吐かれるのと同じ。


如何に、異様な状況かが分かるはず。



個人的には、もっと厳しく取り締まってもいいと思う。


マイナンバーと結び付けて管理し、特定できるようにするとか。


治安が改善されないのなら、厳罰化するしかない。


されて困る人はいないはず。


まともな人間なら、誹謗中傷など書き込まないのだから。

2019年5月12日日曜日

アンスポーツマンライクチーム 千葉ジェッツ

■A東京が2連覇 バスケBリーグ、千葉に競り勝つ

(朝日新聞デジタル - 05月11日 17:22)

https://www.asahi.com/articles/ASM5C41LKM5CUTQP00V.html



自分は、Bリーグ発足時から毎回、CS(チャンピオンシップ)を観てきたが


今シーズンの千葉ジェッツほど、酷いプレーをしたチーム、試合はなかった。


一応、特定のチームに限らず、全ての試合を観てきたし


残留PO(プレーオフ)も、毎回観てきた。


だけど、ここまで酷いのは記憶に無い。



それは、CSのSF(セミファイナル)で起きた。


GAME1、3Qの7:31に、千葉#21ギャビン・エドワーズがシュートをした際


栃木#22ライアン・ロシターの顔に肘が当たり


そのままロシターの上に倒れて押し潰す形になった。







3:16~



これには、アンスポーツマンライク・ファウルの判定。


そのままプレーを続けたが、思うように動けず、結局GAME2には出場できなかった。


診断の結果、右腓骨骨挫傷、全治約2か月とのこと。



『#22 ライアン・ロシター選手 負傷に関するご報告 | 栃木ブレックス』

https://www.tochigibrex.jp/news/detail/id=15324



怪我をさせた本人は、近寄って謝ることすらせず、やれやれといった表情。



そして、これだけでは終わらず、翌日のGAME2でも起きた。


ロシターは、先日の怪我で松葉杖。



3Qの終了間際、栃木#18鵤誠司がジャンプシュートをし


その着地点に、千葉#1ジョシュ・ダンカンが近付き


鵤はダンカンの足の上に着地してしまう。







4:28~



チラっと鵤の方を見ただけで、エドワーズと同様に


近寄って謝ることさえせずに、さっさとベンチに戻ってしまう。





栃木の選手のほとんどが集まっている中


千葉の選手たちは、ベンチから数人が様子を見ているだけ。



千葉のホームである会場は、陽気な音楽とアナウンス


踊るチアガールたちという状況。



鵤は、もはや歩ける状態ではなく、2人に両側から支えてもらいながら移動。





ちなみに、何故かアンスポーツマンライク・ファウルどころか


通常のファウルにもならなかった。


当然、鵤は、その後の試合には出場できなかった。


診断の結果、左足関節外側靭帯損傷および左足舟状骨骨挫傷、全治約6週間とのこと。



『#18 鵤 誠司選手 負傷に関するご報告 | 栃木ブレックス』

https://www.tochigibrex.jp/news/detail/id=15332



今回は、それだけでは終わらず、4Qの6:59に


栃木#6比江島慎がシュートした際、千葉#21ギャビン・エドワーズに顔を叩かれる。








4:44~



これには、アンスポーツマンライク・ファウルの判定。


エドワーズは、先日のGAME1でのアンスポーツマンライク・ファウルに続き


2試合連続で、アンスポーツマンライク・ファウルとなった。


比江島の顔は、腫れていた。




千葉ジェッツのHC(ヘッドコーチ)大野篤史は、試合後のインタビューで


「栃木さんの方に怪我人が出てしまって、残念って言うか。

 怪我人なくて、ライバルとして戦いたかったんですけど

 ちょっと残念なシリーズになったかなと思ってます。」


と答えた。


公の場での謝罪は無し。


普通の感覚で言ったら


「怪我人を複数人出してしまい申し訳ない。怪我の回復を祈ります。」


くらいのことは言えると思うのだが。


他の選手からも謝辞の言葉は一切なく


勝利を喜び、ファンに対する感謝を述べるだけ。


もし、状況が逆だった場合、間違いなく田臥なら謝辞の言葉を述べたはず。


CSで勝利した際、必ず相手チームへの敬意を表する言葉を述べているからだ。


こういったメンタルの選手が、チームの顔となっているかいないかで


チーム全体の精神性というのは大きく異なるものなのだなと感じた。



調べてみると、千葉は今シーズン中、過去にも似たようなことをしていたらしい。


2018年、12月23日に行われた秋田ノーザンハピネッツと千葉ジェッツの試合。


GAME2、2Qの5:57に


千葉#21ギャビン・エドワーズが秋田#55谷口大智に対して、肘をぶつけてしまう。









2:22~


0:00~



これには、テクニカル・ファウルの判定。


また、千葉#3マイケル・パーカーが、倒れている谷口に顔を向けていて


明らかに視野に入っているのにもかかわらず、倒れている谷口の頭に向けて


ボールを投げつけ、その場を何食わぬ顔で去っていった。








3:03~


その後、谷口は担架で緊急搬送された。




その様子を、千葉ジェッツの一部の選手は、ベンチからニヤニヤしながら眺めていた。



この件に関して、千葉ジェッツは以下のようなコメントを発表した。



『【お詫びとご報告】B.LEAGUE2018-19シーズン第15節vs秋田ノーザンハピネッツ戦で起きた事象に関して | 千葉ジェッツ』

https://chibajets.jp/news/detail/id=15984



診断の結果、脳震盪とのこと。



『谷口大智選手の負傷に関するご報告 | 秋田ノーザンハピネッツ』

https://northern-happinets.com/news/detail/id=13934



その後、千葉ジェッツは


スポーツマンシップについて考える勉強会を開催したとのこと。



『[レポート]スポーツマンシップについて考える勉強会を開催いたしました | 千葉ジェッツ』

https://chibajets.jp/news/detail/id=16099



開催されたのは、2019年2月7日。


その約3か月後に


CSで、相手チームから複数人の怪我人を出してしまうことになった。


スポーツマンシップについて考える勉強会が役立ったとは到底思えない。



いくらバスケが接触の多いスポーツだからとはいえ


2試合の中で、同じチームから3人も怪我人が出るなど、そうそうありえないだろう。


そして、同じ選手が2試合連続で、アンスポーツマンライク・ファウル。


その選手は前科があり、秋田との試合でも怪我をさせた。



比江島は、日本代表の中心メンバー。


もし、今後の代表戦に影響したらどうするんだ。


目の下だったから良かったものの、目に直接当たっていたら、一体どうなっていたか。


こういった危険なプレイを、学ばずにしつづける選手は


チーム側も、きちんとそれなりの処分を考えるべきかと。


チーム間の問題だけではなく、日本のバスケ全体にかかわる問題でもある。



YouTubeでの動画の評価も、不評が多い。


客観的に見ても、当然の評価だろう。







2019年5月1日水曜日

昭和 平成 令和~20世紀から21世紀へ~

平成が終わり、令和になったそうです。


個人的な話をすれば、自分は西暦ベースの人間なので


平成××年と言われても、いつのことだか分からないんですよね。


20××年と言われて、「ああ、あの年ね」と思い出す。


なので、平成××年って西暦何年だっけ?と、いちいち考えてしまいます。


正直、昨日までの平成が何年だったのかさえ、分からないという・・・(笑)



そんなこんなで、これまでの天皇陛下が退位され


これまでの皇太子様が令和の天皇陛下に即位されたのは


大変おめでたいことではあるのですが


20世紀から21世紀へと移り変わった時の方が


とてもインパクトが強かった印象です。



平成という時代は、昭和の時代と比べてどうなんでしょうね。


個人的には、数多くの偉人が誕生し、まさに激動の時代と言える昭和の方が


色々な意味で、すごい時代だったなと感じます。


自分の中では、平成という時代は90年代で終わっている感覚がすると言うと


少し大げさかもしれませんが、2000年代に入ってから


様々なものが、失速、衰退してきたのではないかなと思います。



個人的に、90年代は本当に素晴らしい時代だったと思っています。


バブルがはじけ、経済的には不況の始まりとなっていましたし


オウム真理教などの凶悪事件や、阪神淡路大震災などの災害もありましたが


何と言っても、エンターテインメントが素晴らしかった。


20世紀最後の輝きと言わんばかりに


数々のエンターテインメントが世に送り出されました。


テレビ番組、映画、マンガ、アニメ、ゲーム、おもちゃ、音楽、パソコンなど


多くの分野が、クオリティの高いコンテンツを多数、世に送り出し


多くの人々に高い評価と支持を受け、大成功を収めていた覚えがあります。



『女子高生とコギャルが歩んだ90年代~TOKYOポップカルチャーの到達点 【Tokyo Pop Culture Graffiti episode#08】 - 2 - Tokyo Pop Culture Graffiti | TOKYOWISE』

http://tokyowise.jp/rensai/tokyopopculture/tpcg_08.html/2



2000年代以降から、急速に勢いが衰え始め


上で挙げたエンターテインメントのほとんどが、進化どころか衰退しています。


テレビも以前と比べると観る人が減ったようですし、映画業界もイマイチ元気がない。


邦画は、暗い映画か恋愛系、もしくはアニメやマンガが原作の実写化ばかりで


ハリウッド映画は、アメコミ系や過去の遺産が多い。


マンガも、大人気と言えるのは、今やワンピースぐらい。


アニメも、深夜に放送されるような作品ばかりで、アニメオタクしか観ていない。


ゲームも、コンシューマは国内では以前ほどの活気は無く、スマホアプリが主流。


おもちゃも、他の娯楽が多いために苦労しているようです。


音楽も、オリコンチャート1位でも、あまり認知されていない。


パソコンも、今や操作方法が分からない若者が少なくないとか。



その一方で、デジタル一辺倒の現代の流れに反して


アナログに注目が集まり、秘かに人気を集めているとの話もあります。


SNSに没頭する人も多い中、逆にSNSを断とうとする人もいるようです。


平成が終わるということもあって、現在のライフスタイルになる前の


アナログなライフスタイルが注目されているみたいです。


また、90年代のコギャル文化も注目されているようです。



『ギャル復活? 「平成最後」の90年代ムーブメント、SNSで新世代ギャル台頭も - シブヤ経済新聞』

https://www.shibukei.com/column/35/


『「渋谷のギャルそのものじゃん」 藤田ニコル、ミニスカ&ルーズソックスで“チョベリグ”なコギャルに変身する - ねとらぼ』

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1808/18/news028.html



やはり大きかったのは、映画「SUNNY 強い気持ち・強い愛」でしょう。


小室哲哉さんが、この映画の音楽を手掛けていて、90年代の曲が多数流れるようです。


物語は、90年代当時、コギャルで仲良しだった女性たちが現代で再会するというもの。


過去シーンと現代シーンがあるようで、ヴィジュアル的にも中々リアル。


当時、メディアに惑わされず、自由に自分たちのスタイルを確立し


既存のモノを上手く活用して、新しい文化を生み出していた。


コギャル文化として、メディアが逆に惑わされていた強い存在。


まさしく、当時の日本はコギャルを中心に回っていました。


今考えてみると、とてもクリエイティブな存在だったのかもしれません。


当時と今の一番大きな違いは


昔のコギャルは、とにかく元気でパワフルだったということだと思います。


当時の映像を観ても、元気だな、楽しそうだなというのが、よく伝わってきます。


その映画の中で


「今の子たちは何を考えているのか分からない。昔は分かりやすかった。」


といったセリフがあり


スマホの普及による、ライフスタイルの変化について考えさせられます。


それらについて、過去シーンの出演者たちも、リアルに感じているようです。


10:43から



『90年代の流行・コギャル文化特集|Infoseekニュース 映画『SUNNY』で90年代やコギャル文化が話題に』

https://news.infoseek.co.jp/feature/1990s/


『映画「SUNNY」大根仁監督に90年代コギャル文化を聞いてみた|好書好日』

https://book.asahi.com/article/11775302


『広瀬すずインタビュー「90年代のコギャル役で弾けすぎて、反省してます(笑)」 - まぐまぐニュース!』

https://www.mag2.com/p/news/368309


『映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』出演女優たちが語るコギャル文化の自由と現代の閉塞感』

https://www.buzzfeed.com/jp/tatsunoritokushige/sunny-interview


『平成最後の夏。元コギャルを集めて『SUNNY 強い気持ち・強い愛』“同窓鑑賞会”をしてみた | ハフポスト』

https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/22/sunny-movie_a_23507516/


『広瀬すず、池田エライザらが90年代風コギャルに変身 “写ルンです”で撮り合った写真がチョベリグ - ねとらぼ』

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/22/news013.html


『映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』制作陣に聞く、90年代のこと LINEのこと。 | LINE みんなのものがたり』

http://stories-line.com/talk/00021/



また、現在、木造で高層ビルを建てるというプロジェクトが注目されているようです。



『次世代の高層ビルは、木でつくられる──世界各国で進む木造高層建築プロジェクト|WIRED.jp』

https://wired.jp/2017/06/24/wood-skyscrapers/


『日本にも来るか、木造高層ビルが北米でブームに | BUSINESS INSIDER JAPAN』

https://www.businessinsider.jp/post-175171


『70階建ての木造高層ビル、住友林業が計画 - ねとらぼ』

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1802/10/news013.html



新国立競技場を設計した、建築家の隈さんも


コンクリートから木材へ。自然との共生。負ける建築。


といったメッセージを発信しています。


単なる過去への回帰ではなく、それをより進化させた何かを生み出す時代。


自然や景観を無視し、経済成長や利便性だけを追求してきたこれまでとは違い


今後は、自然との共生や景観に溶け込む建築を


目指していくことになるのかもしれません。



『建築が“キャラ立ち”を競う時代は終わった:日経ビジネス電子版』

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/051300012/052500003/


『日本人のセンスと教養を破壊した意外な犯人:日経ビジネス電子版』

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/051300012/052500004/



時代は繰り返すと、よく言われていますが


過去の物や価値観を古臭いと判断するのではなく


現代に活かせる何かが、あるかもしれない。


もしかしたら、現代の問題点を解決するヒントになるかもしれない。


そういった発想や視点が重要なのかもしれないと個人的には思います。


今日から、日本では真の意味で、21世紀が始まりました。

2019年4月21日日曜日

アナログ思考ができない人

■「論破」したがる人への対処法は「中学生だと思って」 しいたけ.さんがアドバイス

(AERA dot. - 04月21日 11:30)

https://dot.asahi.com/aera/2019041800025.html



“アナログ思考”ができない人が最近多い気がする。


ネットでは、そういう人ばかり。


デジタル化が進み、ネット上での文字のコミュニケーションが増え


所謂、理系学問が重要視され、文系学問が軽視されている昨今。


“人間”とは、どういう生き物なのかということを知らない、考えようともしない。


理屈の上での正しさや、論理的な正しさばかりに重きを置いて


それらを投げかける相手の心情などは、一切考慮しないといった人が増えてきている。



言葉の上での戦争。


実際の戦争が何も生み出さないのと同様に、言葉の上での争いも何も生まない。


残るのは、憎しみと虚しさだけ。



言葉通りにしか捉えられない人も多くなった。


所謂、行間を読み取れない人。


代表的なのが、尾崎豊の曲。


「15の夜」や「卒業」では、バイクを盗むのはいけないことだとか


窓ガラスを壊すのはいけないことだとか、不良を賛美しているとか


そういった意見が、たまに見られるが


よく歌詞を読んでみれば


思春期での葛藤や足掻き、大人への不信感や自問自答などであることは明白で


決して肯定しているわけではない。


自由になれた気がした


先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか


あがいた日々も終わる


ここら辺のワードに、真意が隠されている。



また、言葉の上だけではなく


表面的な部分だけで判断する人も多くなってきた。


物事には、必ず原因というものがある。


いつ、いかなる時も、多面的な視点で物事を見ることが重要。


分かりやすい例では、加害者と被害者。


犯罪は、いけないことだ。そんなことは皆分かっている。


問題は、何故起こったのか。


それぞれのバックグラウンドを探っていかないと、解決しない問題が多い。


対症療法では、根本的な解決にはならない。


凶悪な事件や深刻な問題には


大抵、社会への不満や人間関係のトラブルなどが関与している。


つまり、不満を持たれるような問題や


争いの種になるような原因が隠されているということ。



今、日本のみならず、世界的に個人主義が強まりつつあり


“甘え”を許さず、何かや誰かへの依存も許さず、全て自己責任だという風潮がある。


しかし、根本的な話をすれば


そもそも我々人間自身が、常に何かに依存して生きている生物。


他の動物、植物、大気、天体など


広い視野で見渡せば、全て何かに依存し


共存共助で成り立っている世界だということが分かる。



他人に対して攻撃的な人は、日常生活において何か不満を持っていたり


満たされていない、幸福感のない日々を送っている可能性が高い。


つまり、余裕がなく、ストレスの捌け口を探している。


逆に、日常生活に満足しており


満たされている、幸福感のある日々を送っている人は


わざわざ他人に対して厳しく接する必要性がない。


むしろ、優しく、親身になってくれる可能性が高い。



全てに言えることだが、失敗をしない人などいない。


周りに迷惑をかけたことがない人などいない。


天才や成功者でさえ


いや、むしろ天才や成功者ほど、周りに迷惑をかけている人間が多い。


偉大な先人たちは、問題児だったり、落ちこぼれだったり、破産経験者だったり


波乱万丈な人は決して少なくない。



自分が常々思っていることがある。


失敗しない方法も確かに重要だが


“失敗しないように”ではなく、どうやって“失敗から立ち直るか”の方が重要だろう。


失敗のない人生など、ありえない。


あったとしても、それは本人の実力ではなく、運が良かっただけだ。


自分一人の力よりも、周りの助けの方が、はるかに重要なこと。


そういったことを、学校教育の、道徳の授業では教えてほしいと思う。


デジタル化が進む現代だからこそ、アナログ思考の重要性に気付くべき。


機械はデジタルだが、人間はアナログだ。


無機質な人間ほど、人間としての魅力に乏しい人間はいない。

2019年4月11日木曜日

悪趣味

■水槽の前に「寿司ネタ」ずらり 水族館のユニーク展示、企画の狙いを聞いてみた

(Jタウンネット - 04月11日 06:10)

https://j-town.net/2019/04/11278313.html



マグロの解体ショーも悪趣味だと感じていたが


水族館で、これはない。


水族館や動物園は、本来現地でしか見ることのできない生物を


間近で観察することができる施設のはず。


その目的は、動物に関する知識や教養を得ることだけではなく


生命に対する畏敬の念を抱かせる為でもあるはず。


それを、集客目的なのかどうか分からないが


奇をてらった展示やイベント、演出などをする水族館が、個人的には好きではない。


魚や動物に、妙な場所を通らせたり


ライトアップやプロジェクションマッピングなどで


単なる展示品のように扱ったりなど。


魚や動物を食うなと言っているわけではなく、場違いだと言っている。



より興味を持ってもらうためなどとの主張をしているが


そのアイディアがこれでは、まるで素人同然の発想と言わざるを得ない。


動物に興味を持ってもらうために、生きた動物の前で毛皮や剥製を展示するか?


生き物に興味を持ってもらうための展示ではなく


いかに人間が悪趣味かつ残酷な生き物なのかという展示なのでは?


こんなことを続けるのであれば、水族館や動物園は全て失くして良いと思う。



そもそも、生き物を捕らえて見世物にし、私腹を肥やすこと自体


エゴの極みとしか言いようがない。


絶滅危惧種で、保護や繁殖の必要がある場合は別だが。



水族館や動物園に関しては、人間が上の立場なのではなく


人間が下の立場なのだということを自覚しなければならない。


何故なら、魚や動物たちのおかげで客が来て


そこで働く職員や研究者に利益をもたらしているのだから。



「いおワールドかごしま水族館」という水族館は


「沈黙の海」が有名だ。


何の生物も入れられていない、空っぽの水槽。


生物に対する問題提起をしている。


その他にも、生物たちの生育環境を忠実に再現していたり


イルカのショーに関しても、独自のこだわりがある様子。


詳しくは、以下の記事から。


『鹿児島の水族館、20年何もない水槽「沈黙の海」 「不気味」「アート」と反応さまざま 続ける意図は - ねとらぼ』

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1710/22/news007.html



水族館や動物園には、派手さはいらない。


ありのままの姿を見てもらえばいい。


人間による、余計な入れ知恵は必要ない。

2019年3月31日日曜日

ムリだっていうのはいつだって、チャレンジしてない奴よね


■バスケットボール日本男子、44年ぶりに五輪出場

(朝日新聞デジタル - 03月31日 01:45)

https://www.asahi.com/articles/ASM3X5S4FM3XUTQP01G.html



今年の2月24日に、カタールにダブルスコアで勝ち


21年ぶりに、自力でのワールドカップ出場を決めたが


ついに、バスケ日本代表が、44年ぶりにオリンピック出場を決めた!



自分は、Bリーグ発足時から現在まで、テレビや、スポナビライブ、DAZNなどで


その盛り上がりを、ずっと見てきたし、応援してきた。


そういったBリーグの積み重ねや、川崎のファジーカスの帰化


渡邊雄太と八村塁の合流によって


昨年の6月29日、4連敗中だった日本代表は、オーストラリアとの試合に勝利。


その後も、一度も敗れることなく勝ち続け


最終戦、カタールとの試合にも勝利し、8連勝。


ついに、念願のワールドカップ出場を決めた。


この結果から、史上最強の日本代表とも評される。


これまで散々、日本は弱い、日本人にバスケは無理と言われ続けてきたが


それを、結果で否定して見せたわけだ。


そして、「SLAM DUNK 10 DAYS AFTER」でも書かれた


日本人史上初のNBAプレイヤー田臥勇太以来、2人目のNBAプレイヤー渡邊雄太と


NBAドラフト候補の八村塁が、日本のバスケ史を大きく変えつつある。


AKATSUKI FIVEの愛称通り、日本バスケの夜明けとなった。


個人的には、田臥の日本代表でのプレイが見たかった・・・。


田臥なら、まだまだやれるはず。


栃木ブレックスでも絶好調だしね。



ワールドカップ、グループリーグでは、日本はグループEになり


トルコ、チェコ、アメリカと戦うことになった。


早くも、日本の敗退が濃厚だとされているが


自分は、生まれ変わった日本代表が、どこまで戦えるのか非常に期待している。


4連敗からの8連勝。


まるでドラマのような、スラムダンクの物語のような、そんな奇跡を起こしてくれた。


格上相手に、そして王者アメリカ相手に、どこまで食らいつけるか。


個人的には、スラムダンクの山王戦を彷彿とさせる展開。


誰もが山王が勝つ、アメリカが勝つと思っている。周りの観客も。


日本代表は、ワルモノだ。



2019年2月14日木曜日

人の不幸を願い、喜ぶ日本人

ベッキー、巨人の片岡治大コーチとの結婚を発表「しっかりと歩んでいきます」昨年5月から交際

https://www.oricon.co.jp/news/2129455/



未だに、あーだこーだ言っている人間がいることに呆れを通り越して、戦慄する。


一種の病気なんだろうと思っている。


ネットが普及し始めて、そういう人間が増えた。


全く無関係の人間が、特定個人を誹謗中傷する行為。


本人は正義感からの行動だと思い込んでおり、同時に自分の言動は正しいと思い込んでいる。


そういう人間が、ネット上には大勢いて、匿名なのをいいことに、好き放題。


それを受けて、対象の人間が疲弊し、憔悴している様子を見て喜ぶ。


「ざまあみろ」と。


メシウマというやつですね。



最近特に多いのは


「相手が何か悪いことをしたのだから、何をされても文句を言うな。」


というスタンスの人間。


誹謗中傷されたくなければ、最初から悪いことをしなければいい。


そういう理屈らしい。


一見、もっともらしく見えるが、実際は詭弁以外の何物でもない。


自身の特定個人への誹謗中傷を、理由をつけて正当化しているだけ。


こういった行為をしている人間は、日常的に相手の弱みを探していて


見つけては誹謗中傷。


反論されたら、上で書いた正当化するための文句を言う。



他人に厳しいということは、自分の首を絞めていることと同じことだということを自覚すべき。


世間は冷たいとか、社会は厳しいとか言っているが


その元凶は、そういった他人に厳しい人間たち。


お互いがお互いを苦しめあっている。


まさに、首の絞め合い。



人間は機械じゃない。


失敗をする。


そして学習、成長できる。


そのチャンスを与えないのは、不健全だと思う。


理屈の上では正しくても、人間というものを理解していないと、トラブルの元になる。


自分は、“正しいことよりも大切なことがある”と思っている。


寛容であるということは、どういうことなのか。


もう一度、よく考えてみるべき。


情けは人の為ならず。


心にゆとりを持ちましょう。


慈しみの心を忘れるべきではない。


全て、いずれ自分に返ってくることになる。

2019年1月1日火曜日

平成最後の年

明けましておめでとうございます。


もうすぐ、「平成」が終わってしまうというのが、何とも言えない気分です。


振り返ってみると「平成」という時代は


経済や政治的な面では暗い時代だったかもしれませんが


エンターテインメントの面では、とても明るく輝き、熱い時代だったのではないかと思います。


特に90年代は、エンターテインメントとしては激動の時代だったのではないでしょうか。


映画や音楽、テレビ番組やアニメ、マンガやゲーム


そして「Windows95」の発売によって、パソコンが普及し始めます。


1990年と2000年では、10年しか違いませんが、全く違う世界になっていました。


まだファミコンのような、8ビットのドット絵だったのが


10年経つと、3Dポリゴンのゲームが当たり前になりました。


パソコンも普及していませんでしたが、Windows2000やMeが発売され


ネットに繋ぎ、インターネットを楽しむようになりました。


最も成長が著しかった時代かもしれません。


最近では、そのような成長の著しさは感じなくなりました。


今から10年前は2009年ですが、大して変わっていないように思えます。


90年代の成長速度と比べると、なおさらです。


2009年では、既にHDの時代でした。


10年経った現在でも、少し綺麗に、リアルになったかなという程度。


技術革新の行き詰まりのようなものを感じます。


最近では、AIやAR、VRなどが注目されていますが


まだまだ発展途上という印象。


革命とまでは言えない状況だと思います。


最も進歩を期待できるのは、医療分野かなと思っています。


再生医療や免疫療法などが注目されています。


個人的には、以前から注目し、期待している「光免疫療法」が大きな存在だと感じています。


赤外線と抗体などの力で、癌を破壊してくれる治療法で


ほとんどの癌に効果的とのことで、さらに安価で短期間で済むという夢の治療法です。


さらに、末期癌や転移癌などにも有効とのことです。


現在、楽天の三木谷さんが出資しており、日本を含む世界中で治験を行っています。


早ければ、数年で実用化されるかもしれないとのことです。



自分が、以前から利用させていただいていた「Yahoo!ジオシティーズ」が


今年の3月末で、サービスを終了するとのことです。


以前から、「World Map」の全面リニューアルと、移転を考えていましたが


本格的に考えなければいけなくなりました。


『サービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ』

https://info-geocities.yahoo.co.jp/close/index.html


現在、大まかな部分の構想は固まってきたかなという感じです。


ただ、作業量とボリュームが膨大なので、まだまだ時間がかかりそうです。


ともかく、今年も、よりクリエイティブな一年にしようと思います。