2011年3月24日木曜日

秋葉原の事件に思うこと

秋葉原殺傷、加藤被告に死刑




↓の日記でも書いたけど、この機会にもう一度。

https://sauzand.blogspot.com/2010/07/blog-post.html


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加害者が起こした“殺人”という行為のみが注目されて


原因とされている“ネット上の荒らし”とかは、きっと注目されないんだろうな。


“殺人”っていう強烈な行為の陰に隠れてしまうと言うか。



“ネット上の荒らし”って結構深刻だと思うんだけどね。


人によっては、マジで殺したくなるほどイラっとすること


実際にあるだろうし、俺にも少なくとも経験はある。


数分後には落ち着くけどね。


俺みたく、時間が経てば気にならなくなる人と


それがきっかけで、何らかのアンチのように特定の何かに対して


激しい恨みや怒りをもつようになる人


何らかの行為を起こす人。


大体この3つに分けられるのかね。



何にしても、“ネット上の荒らし”はもっと注目されるべき。


分かりやすい荒らしコメントだけじゃなくて


たんなる愚痴だったり、煽りだったり、皮肉的なコメントも


受け取る人によっては、荒らし同然なわけで。


その人の心を荒らされたと言うか。



前は2chだけだったけど、今は本当に酷いモンな。


mixiもそうだし、yahooニュースでのコメントもそう。


みんな勝手なことばかり言って


なぜか、yahooニュースとかで正論言ってる人が


“そうは思わない”の数のほうが多くなっていたり。



殺人は当然ダメだけど


もし動機の“ネット上の荒らし”が加害者の本心であるのなら


犯罪者のたわ言と捉えるのではなくて


一人の人間の心の叫びとして、受け取るべきじゃないかと思ったり。


実際、こういうネット上の荒らしに悩まされている人って多い気がするんだけど。


このニュースを読んで


「認めたくはないけど加害者の気持ちが分かる」


っていう人、意外といるのかもよ。


加害者が起こした行為は別として。


俺は少しだけ分かる。


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“言葉”は所詮、コミュニケーションの道具のひとつに過ぎない。


使うのは人間。


使い方次第で、人を傷つけることも癒すこともできる。


犯人への憎しみだけではなくて


こういう結果に至った原因について考えてみる良い機会。


犯人の人格が異常だからで済ませてはいけないと思う。


それで済ませていては、また同じような事件は絶対に起こる気がする。



“言論の自由”とは言うけど


“好き勝手言っていい”という意味ではないよね。


人間なら、相手を傷つけないように言葉を選ぶなんてことは


当たり前に出来なくてはいけない。


できないのならば、“それ”を使う権利はないんじゃないかな。


もちろん、ネットも同様に。

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