2010年12月9日木曜日

ストレス社会

最近は妙にイライラしてダメだ。


以前は、多少のことではイライラしなかったんだけどな・・・。



何にストレスを感じているのかと言えば、やっぱり人間に対して。


流石に、現実ではあまり見かけないけど


ネットでは腐るほどにいる、いわゆる“病原菌”。


それに触れれば、触れるほど自分自身が感染してしまうんだということを実感した。


薬を飲むことで対処はできるのかもしれないけど


やっぱり一番良いのは、触らないこと。


少なくとも、以前はそれを無意識のうちに理解し実践できていたはずなんだけど


最近になってからは、全然ダメだな。



人を魅了できる“芸”を持っていないくせに、それを持っている芸能人を叩く人間。


事件の加害者を、いかに苦しめるかを想像して悦に浸る人間。


過去の日本を忘れ、他国を叩く人間。


ネットの情報を鵜呑みにする人間。


枠に収まりたがる、収めたがる人間。



パクり文化なんて、昔の日本にも存在していたはず。


例を挙げれば、「インベーダー」や「ドンキーコング」の海賊版が多数出回っていた。


今でも、様々な商品のコピー品や海賊版が出回っている。


最近、日本で買い物をしに来ている中国人に関しても


日本のバブル期に、海外のブランド品を日本人が買いあさっていて


世界で批判されていたという、過去の事実を忘れて批判する人間たち。



だけど、俺が感じているストレスの原因はそんなことではなく


そういう言動をする“人格”そのものに対して。


何をもって“まとも”なのか、何をもって“賢い”のか。


それは、常日頃の言動で決まると思っている。


そういう意味では、真に“まとも”であり“賢い”人間は


少なくともネット上では、決して多くはないということ。



俺は日本人だが、日本人のとある部分が嫌いだ。


それは“卑怯”であることと“陰湿”であること。


匿名性のあるネットという環境は、まさに日本人にうってつけだと


皮肉だが実感する。



この文章を読んで、それは間違っていると思う人間


または、間違っている部分を必死に探す人間がいると思う。


その前に、正しいか間違っているかではなく


何が“事実”なのかを一度考えてみた方が良いのではないかと思う。


事実というのは、必ずしも綺麗なものとは限らない。


それは、今までのすべての歴史が物語っている。



「得た教訓」


触らぬ神に祟りなし

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