2010年6月22日火曜日

ふと思ったこと。

ふと思ったことなんだけど


熱中のし過ぎ、ハマりすぎは良くないと思った。



自分が純粋に、理屈抜きに好きになったモノやコト


興味を持ったモノやコトって、みんなあるだろうけど


どうしても、その“度数”が上がるにつれて


視野が狭くなってしまったりするんじゃないかな。


少なくとも、俺はそういう経験がある。


自分の好きなモノやコトを、誰かに否定、批判、中傷されたら


やっぱり傷つくし、頭にくるし、その発言をした人が憎くなる。


例え、それが見方によっては正しい意見であっても。


そのことで、一々悩んだり落ち込んだりもするわけで。


やっぱり自分の好きなモノやコトは、完璧であって欲しいと少なからず思っちゃうからね。



視野を広げるのって結構大変で


まず、相手の意見を冷静に捉えなくてはいけない。


この時点で、結構難しかったりするんだよね。


正しいか間違っているか関係なく、批判的な内容なだけで


胸の内が熱くなるような、怒りなのか、焦りなのか


よく分からない感情が込み上げてくることが結構ある。


そして、その時の感情に任せて、勢いで、コメントやら意見やらを書いてしまう。


ネットや現実で、批判、中傷をしている人に多いんじゃないかな。



そういった、自分とは反対の意見、批判的な意見を見たときに起こるその感情は


ある種の人間らしさの様なモノで、同時にその対象のモノやコトが好き


あるいは興味があるという、気持ちの表れでもあるんじゃないかなと。


だけど、批判的な文章を何度も読んで、その気持ちが収まるのを少し待つと


意外と冷静になれたりもする。


いわゆる、何かを“乗り越えた”状態。



好きなモノやコトに近すぎる自分がいる。


そのモノやコトから、一歩離れて見てみると


意外と受け入れるまではいかなくても


人によっては、そういう意見もあるかもね


という気持ちになれたりするかも。


それと同時に、自分がその“モノやコト”の


一体どの部分に興味を持っていたのか


または、ハマっていたのか、好きだったのかが明確に見えてきたりもするかも。


自分にも、大好きなモノやコトがたくさんあるけど


一歩離れて見れているおかげか、昔ほど感情的になることはなくなったかな。



ぶっちゃけ、自分の理想とピッタリ合うモノなんて存在しないと思ってる。


自分の理想だ!と思っても、時間が経つにつれて、何か違和感を感じ始めたり


自分の気持ちを疑い始めたり。


“飽き”も、コレに該当するんじゃないかな。


そういう気持ちがあるからこそ、人間には


こうしてほしい、こうしたい。といった


“欲望”や“願望”があるんだろうし


自分で何かを作り始めたりするんだろう。


自分が感じた、その“理想”だけでは満足できないから。


やっぱり時間が経つと、いくら理想的なモノやコトだったり


完璧だと感じたモノやコトでも、粗を見つけてしまうと言うか


自分の気持ちとのズレが生じるものなのかなと。


人によって、そういった気持ちが起こるスピードは違うだろうけどね。



長い間、何かに熱中している人は、何かしらの妥協をしているんじゃないかな。


それか、そのモノやコトに求める部分を明確に分けているか。


 このモノorコトは、こういう良さがある。


 だから、サイコーなんだ。


 その他の部分は求めない。


 自分は、それで十分満足している。


という感じで。


多分、そういう楽しみ方が理想なのかもしれないなと。



楽しいと感じている内は、トコトン楽しんだ方が良いのかもしれない。


気持ちが冷めてからじゃ、楽しめないし損だから。



結局、何が書きたかったのかと言うと


ハマり過ぎると、それだけ悩みも多く、大きくなってしまうなということ。


だから、一歩離れてみることで


楽しみながら、悩みを少なく小さくできるんじゃないかな。


あくまで個人的に、ふと思ったことだけど。



本当に突然思いついて、突然書いた日記だから


矛盾や粗があるかもしれないけど。


スイッチがの利く人間と言うか、割り切れる人間と言うか。


視野の広い人間になりたいわ。

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