2019年12月22日日曜日

ダイよりビィト

『ダイの大冒険』来秋28年ぶり完全新作で再びアニメ化 ドラクエ世界観の人気漫画が原作

https://www.oricon.co.jp/news/2151514/full/



「ダイの大冒険」も名作だとは思うけど


個人的には「冒険王 ビィト」の方が好き。


2006年以来、病気療養のため長期休養していたけど


2016年に、10年ぶりに再開。


連載当初から、ずっと読み続けてきたマンガで


今の時代では貴重な、王道の冒険モノ。


再開後も、全く違和感のないクオリティで感心させられた。


今では、マンガは「冒険王 ビィト」しか読んでいない。


アニメは、最後に観たのはいつか思い出せないほど前から観ていない。


最近は、オタク臭いマンガやアニメばかりで


正統派なマンガやアニメが、ほとんどない。


ゲームの方も、「ファイアーエムブレム」が、あんな感じになっちゃったり。


そういったテイストが、個人的に苦手なもんで。



「ダイの大冒険」の再アニメ化に関しては、何よりも心配なのはクオリティ。


作画や声優など、昔のアニメに比べて、今のアニメのクオリティは


お世辞にも高いとは言えない印象。


無個性な声優ばかりで、話題になるのは、ビジュアルやアイドル性。


個人的な意見としては、声優は黒子に徹しろよと思う。


山寺さんのようなマルチに活躍できる人間なんて、ほとんどいないはず。


まず、本業をしっかりしてほしい。



肝心の声優は、亡くなっている方が多い。


そもそも、主人公のダイの声優だった藤田淑子さんが亡くなっている。


あの声じゃないという時点で、かなり不安。


問題は声優だけではない。


再アニメ化で成功した例を、自分はほとんど知らない。


ドラゴンボールも、最低記録を塗り替えるほど、最悪だったようだし。


そもそも、ドラゴンボールは、個人的にピッコロ編までしか好きではない。


なので、再アニメ化云々以前に、「Z」以降のアニメ自体が好きではない。


鳥山さんはギャグの人だと思っているので


シリアスな格闘漫画になった時点で、本領が発揮できていない。



そういった不安要素を全て払拭できたら、素晴らしいと思うけど


実際は、かなり難しいだろうね。


昔の「ダイの大冒険」を観ていた方が楽しめる気がする。


と言うか、「冒険王 ビィト」の再アニメ化の方が、個人的は待ち遠しい。


今は連載スピードがゆっくりだから難しいだろうけど


いつか、また続きをやってほしい。

2019年12月5日木曜日

全面的に支持

「ミス/ミスターコンテストは一切容認されない」 法政大学が「ミスター法政」について声明を発表

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/02/news090.html



まず最初に結論。


なぜ、ダメなのか。


その答えは、評価軸が“容姿”のみ、もしくは“容姿”がベースになっているから。


ダイバーシティ(多様性)を尊重するということは、多様な評価軸で判断すること。


そういった要素がないため、ダメ。


そして、“容姿”というのは先天的なもの


生まれ持ったもので、後から大きく変えることは容易ではない。


身長や、顔のパーツなどは、整形でもしない限り、生まれ持ったままの状態。


つまり、容姿が整っているとされている人は、単に運が良かっただけ。


そういった要素に、優劣をつけるのは倫理的に問題がある。


美しく見せる技術は、生まれ持ったものではなく、努力して得たもので実力だ


と言う人もいるが、そんなのものは+αに過ぎない。


第一、そんなに自信があるのであれば、学外のもっと大きなコンテストに挑戦するべき。


それこそ、ミス・ユニバースとか。


学内でのコンテストなど、何の意味もないと個人的には思う。



レイシズム(人種)、セクシャリズム(性)、エイジズム(年齢)、ルッキズム(容姿)など


差別的な価値観を助長するものだと思う。


実際、近年そういった価値観に傾きつつあるように思える。


人を見たとき、まず容姿。


そんな人間が多くなっているような気がする。


YouTubeのコメントなどを見ても、容姿の話が多いこと。


例えば、ZARDは歌手なのにもかかわらず


動画に投稿されているコメントは、大体容姿に関するもの。


それ以外にも


顔だけではなく、身長やスタイルなどの体形、髪型、化粧なども。



一言で差別と言っても様々で


今回問題になっているのは、ルッキズム。


容姿というのは、基本的には生まれ持ったもの。


容易に変えることは不可能。


では、容易に変えることができるものであれば差別は許されるのか。


もしくは、差別とは言わないのかと言えば、そうではないと思う。


例えば、学歴、職業、収入、住所などは、変えることができる。


では、その特定のカテゴリに属する人間が差別されていることに対し


「差別されたくなければ、変えればいい」


という理屈が、果たして成立するのか。


自分はしないと思っている。


特定のカテゴリに属しているだけで差別されるのは、やはりおかしい。



今回の件は、法政大学はダイバーシティを重視した結果だが


このコンテストは、人格ではなく容姿という評価軸をベースに行われるイベントで


ダイバーシティとは相反するだろうということ。


それを否定したいのであれば


従来の、容姿の整った人間といったイメージからかけ離れた候補者が


グランプリに選ばれたという実績が必要なのではないかと思う。


そういった実績があれば、必ずしも容姿の整った人間が有利というわけではないことが


証明できるし、評価軸が容姿のみではなく、多様なものであると証明できる。


しかし、実際のところ、それはほぼ無理だろう。


なぜなら、この手のコンテストの評価軸は、容姿がベースになっていることは明らか。


従来の、容姿の整った人間といったイメージの候補者がグランプリに選ばれなかったら


「この顔でグランプリ?」


と言う人間は必ず出てくる。


と言うか、実際にそういったコメントをたくさん見てきた。



では、評価軸が多様であるというのはどういうことなのか。


個人的に、ゲームに例えると分かりやすいと思っている。


ゲームとして優れている作品は、一体何で決まるのか。


それは、一言で表すのは不可能だろう。


これは、あくまで個人的な考えだが


自分の、ゲームの評価軸は以下の通り。



■ キャラクター


■ ストーリー


■ 世界観



■ インターフェース


■ 演出


■ キャラクターデザイン


■ グラフィック


■ モーション


■ レベルデザイン



■ SE


■ 音楽


■ 声



■ AI


■ カメラ


■ ゲームバランス


■ システム


■ 自由度


■ スピード感


■ 操作性


■ テンポ感


■ 難易度


■ パフォーマンス


■ ボリューム


■ やりこみ要素


■ ユーザビリティー


■ リプレイ性



自分は、上記の26個の評価軸から、総合的に判断している。


これこそ、多様な評価軸ということだと思う。


今回の件で言えば、容姿に近い評価軸は、恐らくグラフィックだろうが


グラフィックの美しいゲームであれば、本当に優れたゲームと言えるのか?


自分は、そうは思わない。


人間も同様で、容姿というたった一つの評価軸で


一人の人間を評価すること自体が問題だと思う。


容姿を肯定すること自体は良いじゃないかというコメントもあったが


特定の容姿が肯定されるということは、それに相反する容姿は否定されるということ。


実際、そのようにして勝ち残っていくものだ。


容姿というたった一つの評価軸で。



この件に関するコメントで、試験や競技などと同列に語っている人間がいるが


全く別物であり、同列に語るべきではないと思う。


試験や競技は、競争であり、勝ち抜くために努力した後


さらに運が良くなければ勝つことはできない。


今回のコンテストが、そういったものと比較されるのはおかしい。


こんなコンテストよりも


より社会貢献した学生を選出するコンテストの方が、ずっと良いんじゃないかと思う。


学生時代に、どれだけボランティアなどの社会奉仕活動をしてきたかという。


ただでさえ、日本は社会奉仕活動に対して、欧米の先進国と比べて消極的だし


近年は、自己責任論者が増えてきたわけだし。



個人的な意見として言わせてもらえば


容姿が優れているとか、胸が豊かであるとか、身長が高いとか


そういった価値観は、非常に動物的な価値観だと思っている。


進歩的な価値観とはかけ離れた、原始的な価値観だと思ってしまう。


動物も、容姿などで交配する相手を選ぶという。


何も変わらないではないかと思う。


いい加減“進歩”するべきだと思う。

2019年10月9日水曜日

まだ結婚できない男

見る前から、キャストを見る限り、不安と嫌な予感しかなかったが

実際観てみると・・・

やっぱり・・・という感じだった。


前作はリアルタイムで観ていたし、過去に少しだけ日記にも書いていた。

『おもしろい!』
https://sauzand.blogspot.com/2006/09/blog-post_12.html


今回、このドラマを観て感じたことを書いていく。

まず、良いと思った点。

主題歌を歌う、ELTの持田香織の歌声が良くなった気がする。

初期の頃の歌声に、少し戻ったような気がした。

前作のドラマでは、初期の持田香織とは全く異なる歌い方だったが

「スイミー」の場合、逆に、それが味になっていて良かった。

もちろん、今回も良かったんだけど

初期の頃(fragileや、Time goes byよりも前)の歌声に戻っているような気がした。

正直、今回観た中で一番感動したのが、そこだった(笑)

初期の持田香織の歌声は本当に良かったからね。

初期の持田香織


「スイミー」時代の持田香織


良いと思った点は、これくらいかな・・・(笑)


次に、良くなかったと言うか、違和感を覚えた点。

まず、主人公が結婚していない点。

前作の最終回では、女医にプロポーズをし

その後、家の設計案が浮かばないから結婚できないと言ったものの

終盤で、自宅に人を入れない主義の主人公が、女医を自宅に招く。

家の模型が出来上がっているシーンなどから、明確に描かれてはいないものの

結婚を予感させる演出だった。

これは、個人的には最高の物語の締めくくり方だと思っている。

しかし、続編では結婚していないという。

あの感動は何だったんだ?あの演出は?

女医の父親まで出てきたのに。

今回のエピソードで、雑に数十秒、前回の話に触れて終わり。

しかも、あっさり金持ちと結婚。

あれだけ、女医は結婚に関して色々と悩んでいたのに、安直すぎないか?

前作で、過去にプロポーズされて嬉しかったけど

相手が、すぐに子供が欲しい人だったため、価値感が合わず別れた。

キャリアを中断したくないとか、一生医者をやっていくって言っていたのに。

前作は、マジで何だったんだ?

率直な感想としては、まずこんな感じ。


そして、前作と違って現代の社会的な問題とリンクさせすぎ。

話も重すぎ、暗すぎ。

冒頭から、生涯未婚率とか持ち出してくる。

そんな社会派なドラマじゃなかったでしょ。

その後も、ブラック企業とか、ネットの誹謗中傷とか、離婚裁判とか。

妙に生々しく、殺伐としていて、シリアスな物語展開。

前作での金田の代わりが、ネットでの主人公への誹謗中傷。

ネガティブすぎ。殺伐としすぎ。

しかも、この更新のチェックって、最終回まで続くってことでしょ。

こんなネガティブなシーン、毎回観たくないでしょ。

面白くもないし。

全体的にネガティブ要素が満載。

物語自体も、結婚や恋愛ばかり。

次回は婚活アプリだって・・・(笑)

時事ネタ多すぎ。

前作は、もっと気楽に観れる、のほほんとしたドラマだったじゃんか。

平和で、まったりしていて

当時学生ながら、こんな生活良いな~と憧れたりしたんだけど。

周りの人間も、何だかんだで良い人ばかりで。

和気藹々感があって、楽しそうだなと。

今回は、全くそんな感じがなかった・・・。

終盤の講演のシーンでは、何故か感動路線。

何か、そんなドラマじゃなかったでしょとしか・・・。

そういうの、個人的に、このドラマに求めてないんだけどな・・・。

このドラマって

フィクションとして、どこか親近感を覚えながら楽しむモノだったはず。

あるあるとか、共感しながら。

独身であることを問題視する感じではなく

むしろ、独身生活を楽しむ主人公の日常を覗くようなドラマだったはず。

独身生活を楽しんでいる主人公が、珍妙だけど可愛らしく感じるような。

違和感がすごい。


肝心のキャラクターも微妙すぎる。

前作で毎回登場した金田も登場せず、代わりに主人公への誹謗中傷キャラ。

金田も結婚できない男だけど、主人公と同じく独身生活を楽しんでいるキャラだった。

つまり、ポジティブなキャラクターだった。

金田以外のキャラクターも、ほとんど登場せず。

親戚と部下だけか。

前作の隣人は引っ越したし、金田役の高知東生も難しいだろうけど

仕事仲間だった高島礼子演じるキャラクターは、どこへ行ったんだ?

前作では悩んだ末、引き抜きを断ったのに。

さくらが演じた部下の恋人もどこへ?

しかも、余計なキャラクターが増えすぎじゃないかと。

わちゃわちゃしてるだけで、本当に必要なキャラクターなのかと。

キャラクターが増えたせいで、部下の存在感も薄くなった。

前作は、限られたキャラクターだけだったし

どのキャラクターもユニークで、役者も演技が上手かったから

世界観や雰囲気に入り込めた。

アットホームで和気藹々とした感じが出ていた気がした。

今回では、それは感じられなかった。

おまけに、主人公の存在感も薄くなった気がする。

と言うのも、主人公以外の脇役キャラクターが主張しすぎている気がするんだよね。

前作では、偏屈な主人公に周りのキャラクターが振り回される感じだったんだけど

今回は、主人公が振り回されている感じがした。

シーンによっては、主人公そっちのけで物語が進んでいると感じたり。

あと、無個性で真面目なだけのキャラクターが多い。

普通すぎて、魅力が乏しい。

役者の演技力も、前作と比べるとイマイチ。

前作は、夏川結衣や高島礼子、国仲涼子や高知東生など

演技の上手い役者が揃っていた。

また、さくらやSHEILA、その他、店員役や看護師役の役者なども良かった。

今回は、稲森いずみ以外微妙。

上でも書いたけど、キャラクターの魅力も乏しいから

観ていて、前作ほど楽しめなかった。


主人公にも違和感を覚えた。

冒頭で、設計した家について語るシーンがあるが

前作の印象とは、まるで違っていた。

前作では、性格は偏屈だが良い家を作るキャラクターで

明るくて、開放的で、みんなが遊びに来るような家と、本人も語っている。

依頼主の予算の都合に合わせて、最初の設計案を変えて

依頼主の需要に合わせた設計をしたり。

それを聞いた女医が、主人公を褒めるシーンなんかもあった。

今回では、依頼主を引かせる設計案だった。

また、講演のシーンで

「自分が住みたい家を作りたいのかも」と語っているシーンにも違和感。

前作では、最終回で女医に、他人の住む家ばかりを設計してきたため

自分や自分の大事に想っている人の家を設計することができなかった

イメージが湧かなかったと告白している。

あとは、キャラクターや物語とは関係なく違和感を覚えたシーン。

それは、弁護士の判断。

ネットの誹謗中傷に関して、個人の感想で済まそうとしているが

名指しで、無能やら3流やら、センスのかけらもないやら

老人を食い物にしているやら卑劣極まりないやら

明らかに名誉や尊厳を傷つける内容なのに

誹謗中傷にならないって何を言っているんだと思った。

この辺りは、別にどうでもいいと言えばどうでもいいんだけど。


このドラマの方向性が分からない。

何か、フツーの平凡なドラマになったという印象。

時事ネタを扱うタイプの。

今後は、もう観ないかな。

来週も中々残念そうな感じだし。

期待はしていなかったけど、残念なドラマだった。

同じ人が書いた脚本なのか?と思うほど。

ちなみに前作は、個人的には日本のドラマの中で一番好きな作品でした。

夏というのもあってか、爽やかで楽しげで良かった。

2019年9月27日金曜日

誕生日

今日は、自分の誕生日でした。


でも、今の自分にとって年齢は、ただの数字でしかないので


特に意味のあるものではないかなと思っています。


とは言え、形式的でも、そうでなくても、祝ってくれる人がいるというのは


嬉しいことですね。



自分の近況としては


まず、「World Map」のリニューアル作業。


『Yahoo!ジオシティーズ』時代の「World Map」と


さらに、それ以前の「World Map」のデータをHTML5で書き直し


過去のデータとして、閲覧できるようにしようと思っています。


そのための作業は、一通り終了し


現在は、新しい「World Map」のレイアウトなどを考案中。


また、この機会に、独自ドメインを取得しようかと思っています。


サーバーは、まだ何処にしようかと悩んでいる最中。



最近は、ゲーム開発を進めています。


ゲーム開発自体は、ずっと以前(mixiを始めるよりも前)から


し続けているのですが、現在は「VX Ace」での開発を真剣に検討しています。


以前も、何度か「VX Ace」での開発を検討していましたが


『「RPGツクール2000」から「RPGツクールVX Ace」への移行』

https://sauzand.blogspot.com/2012/12/rpg2000rpgvx-ace.html


『RPGツクールVX Ace』

https://sauzand.blogspot.com/2015/03/rpgvx-ace.html


『続・RPGツクールVX Ace』

https://sauzand.blogspot.com/2015/03/rpgvx-ace_19.html


ついに、本格的に計画を始動させようと思っています。


現在、主に行っている検証は、所謂「スクリプト素材」です。


どんなものを導入しているのかは、数が多いため書ききれないのですが


システムや表現、ユーザビリティーに関する素材です。


また、画像素材は、「2000」のものを使用するつもりです。


というのも、個人的に「2000」の歩行グラフィック素材を気に入っており


なおかつ、「VX」以降の歩行グラフィックが、あまり好みではないためです。


XPの歩行グラフィックなども検討したのですが


「2000」と比べて、バリエーションに乏しく、改造もしづらいので


今のところ、使用する予定はないです。


画像素材の解像度の問題で


どちらかに統一しないと、おかしなことになってしまいます。


となると


「2000」の歩行グラフィックを諦めるか、「XP」の歩行グラフィックを諦めるか


の、どちらかになるわけで。


そう考えると、個人的に「XP」は中々厳しいです。



マップ素材に関しては、「XP」以降の素材を利用することが可能だと判断しました。


「XP」以降のマップ素材で組んだマップ上を


「2000」の歩行グラフィックのキャラクターを歩かせてみたところ


思ったほど違和感がありませんでした。


ちなみに、「2000」の歩行グラフィックは解像度の問題で


そのまま使用すると、小さいキャラになってしまうので


2倍に拡大してから使用しています。


「XP」以降のマップと併用する場合は


「2000」のマップに合わせるため、一度解像度を1/2に縮小した後、2倍に拡大します。


すると、低解像度感が出るため、違和感が無くなります。



というような検証を最近は、していました。


個人的には、開発自体よりも、素材収集&素材制作の方が大変です。


思うような素材が無かったり、ちゃんと機能するように素材を編集したり・・・。


地味で、手間のかかる作業です・・・(笑)


しかし、順調に進んではいるので、特に問題はありません。


計画としては、まず「2000」でゲーム開発をした後


「VX Ace」に移植+αの完全版として開発をしていこうと思っています。



ということで、「World Map」とゲームの開発を


これからも頑張って進めていきたいと思います。

2019年7月31日水曜日

コピーされてこそ本物

■京アニ、放火容疑者と同姓同名からの応募作品を確認

(朝日新聞デジタル - 07月30日 19:43)

https://www.asahi.com/articles/ASM7Z65X6M7ZPTIL034.html



以前に、似たような日記を書いたんだけど


『気持ちは理解できる。』

https://sauzand.blogspot.com/2011/10/blog-post_23.html


クリエイターにとって、作品というのは我が子のような愛しく大切な存在。


「FINAL FANTASY」シリーズの生みの親である、坂口博信さんも


作品のことを、娘のような存在と語っている。


これは、モノ作りに携わる人間なら誰しもが抱く感情。


そんな愛しい作品を応募するということは、自慢の子供を他人に紹介する


または、娘を嫁がせるようなもの。


その結果、作品のアイディアだけ盗まれたということになれば


大事な子供を誘拐された、娘が性的被害にあった、恋人が寝取られたようなもの。


これは、何かを生み出したことがある人にしか分からない感情かもしれないが


強い怒り、もっと言うと、殺意に近い感情が込み上げてくる。



とは言え、“コピーされてこそ本物”なのも確かだ。


ココ・シャネルも言っていたし、横井軍平さんも言っていた。


横井軍平さんは、マリオやゼルダなどの生みの親である宮本茂さんの師匠的存在。


ウルトラハンドやゲーム&ウオッチ、十字キー、ドンキーコング、ゲームボーイなど


数々の作品を生み出した、日本のスティーブ・ジョブズ。


上記の作品を生み出したとき、多数の類似商品が出たらしい。


そんな、様子を見て発言したのが“コピーされてこそ本物”という言葉。



そんな横井さんも、就職活動は全滅で、任天堂に設備点検係として雇用された。


そこから、単なる花札・トランプ会社だった任天堂を


世界屈指のビデオゲーム会社に育て上げるのだからすごい。


そんな横井さんは、技術よりもアイディアだと言っていた。


そのアイディアを生み出す企画力で、活躍されてきた人だ。



今回の件に対しての反応で


「一次審査で落とされるぐらいだから駄作だったんだろう」とか


「駄作が採用されなかったからって逆恨みかよ」といった意見が多いことに驚く。


そもそも、今回の容疑者が応募した作品に目を通したことがないのにも関わらず


なぜ、そういった発言ができるのかが理解できない。


オーディションなどで、書類審査で落とされた人間が


その後に大成するというのは、珍しい話ではない。


エイブラハム・リンカーンも、何度となく落選した後に大統領になった。


ウィンストン・チャートルも、士官学校を何度も落とされた。


ウォルト・ディズニーも、新聞社を解雇された際に、想像力に欠けた人間と言われた。


ハリソン・フォードも、当時の副社長に才能が無いと言われた。


ビートルズも、大手レコード会社に軒並み契約を断られていた。


エルビス・プレスリーも、ラジオでのパフォーマンスを一度でクビにされた。


今が駄目だから、今後も駄目とは限らない。


少なくとも、成功者は諦めなかった。


だから今回の容疑者も、凶行に走らずに、諦めずに頑張ってほしかったな~と


ジャンルは違えど、クリエイターの端くれとして思ったりする。



前から思っていたことだけど、クリエイターと経営側の対立というのが気に食わない。


最近問題になっている吉本興業の件もそうだが、経営側はクリエイターを軽視しすぎ。


ワイドナショーで、松本人志さんも言っていた


「芸人いてのあんた達でしょ」


という言葉は、確かにその通りだと思う。


今回の件も、応募者側の作品を軽視しすぎた結果という見方もできる気がする。


応募者側は


「どうぞ、自分のアイディアを好きに使ってください」


という気持ちで応募しているわけではないだろう。


狂信的な京アニ信者なら、そういう風に思うかもしれないが。


これは、アニメ業界に限らず言えること。


アイディアが欲しいなら、引き抜け。


要らないのなら、盗むな。


アイディアだけ拝借して、生み出した本人は要らないなんて都合が良すぎる。


こういった悪質な行為をする企業も、残念ながら存在するようなので


全てのクリエイターは、自分のホームページを持ち


自分の作品を公開してから、応募したほうがいいかもしれない。


そうすれば、これは自分の作品だと堂々と主張できるし、根拠もある。



何も生み出せない人間に限って、アイディアを軽視するというのは本当かもしれない。


自分が何も生み出すことなく、便利で快適な生活が享受できているからかな。


想像力によって生み出されるアイディアというのは


知識よりも技術よりも、ずっと価値があると個人的には思っている。



『イマジネーション研究所 on TDL&EPCOT』

https://sauzand.blogspot.com/2011/09/on-tdlepcot.html

2019年7月24日水曜日

言っていることとやっていることが違う

加藤浩次「吉本興業」退社はいったん保留 大崎会長との会談「平行線のまま」「合致点が見つからない」

https://www.oricon.co.jp/news/2140772/full/



連日、この件が報道され続けているが


一連の報道と、それに対する様々な人のリアクションを見て思うのは


“言ってることとやっていることが違う”ということ。



この件に関して、個人的な意見としては


宮迫さんや田村さんを含めて、今回問題となった芸人たちは


世間で言われているほど悪いことはしていないと思う。


以前から、プライベートで反社会的組織と付き合いがあるというのなら大問題だが


相手を反社会的組織の人間だと知らずに仕事をし


それに対するギャラを受け取ってしまった。


やらかしたな~とは思うが、そこまで批判されるほどか?と思う。


嘘をついた件に関しても、たしかにマズいことをしたとは思うが


人間の心理からして、理解できないものではない。


合理性のみで判断すれば、当然いけないことではあるが、人間は非合理的な生き物。


理屈だけでは、どうにもならんでしょう。


そもそも


「詐欺被害にあった人の気持ちになったら」


ということを言っている人もいるが


詐欺被害にあった人の立場で物事を考えられるのであれば


同様に、宮迫さんや田村さんの立場になって物事を考えるべきではないかと思う。


あまりに一方的すぎると言うか、偏った視点、偏った意見が多いという印象。



無期限謹慎&その期間中の社会奉仕活動くらいで十分だと個人的には思う。


それで復帰した時には、「今後二度としないよう気を付けます」で良いんじゃないかと。


これだけのことで


家族のいる人間の生業を廃業に追い込むのは、いくらなんでもやりすぎ。


本人たち自身が法を犯したわけでもあるまいし。



よく


「日本は失敗を許さない国。チャンスを与えない国。リカバリーがしづらい国。」


という意見が見られるが、そういうことを言っている割に


他人の失敗に厳しいし、チャンスを与えない。


リカバリーをする機会を奪っているのではないかと思ってしまう。


“言っていることとやっていることが違う”んじゃないか?と個人的には思う。



この国や、社会を作り出しているのは、政治家や官僚だけではなく国民全員。


上でも書いたように、“失敗を許さない社会”を作り出しているのは


紛れもなく、国民自身。


その自覚がないから、“言っていることとやっていることが違う”なんてことになる。


他人が、どうにかしてくれるものだと思っている。


“社会=自分以外”だと思っている。


だから、他人事のように、「社会は~」「日本は~」と言い始める。


社会や、この国を変えたいのなら、まず自分から変わるべき。


極端な話


日本人全員が、そういった気持ちを持てば、社会や日本は変わる。



差別反対、寛容になるべき、チャンスを与えるべき。


そう言っている人間が、無意識の内に


他人に対して差別をしていたり、不寛容だったり


チャンスを与えていなかったりするのではないか。


そういった他人に厳しい意見を見るたびに、気持ち悪いな~と思う。


いい加減気づいたほうがいい、自覚したほうがいい。


こういった、不寛容な、差別的な、失敗を許さない


チャンスを与えない社会を作り出している


または、それに加担しているのは、自分自身だということに。