2019年12月26日木曜日

今のセガ

おれたちの“セガ”が帰ってくる! セガゲームスがセガ・インタラクティブを吸収合併、新社名は「株式会社セガ」に

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/24/news137.html



個人的に今のセガは、かつてのような魅力を感じない。


挑戦的で尖った姿勢が良かったんだけど。


今のセガからは


「NiGHTS」や「ジェットセットラジオ」


「シェンムー」、「エターナルアルカディア」のような名作は


生まれないんだろうな~と思ってしまう。


「創造は生命」はどこへ?



「ぷよぷよ」はコンパイルが生み出したブランドで


セガが生み出したわけではないのに。


「ぷよぷよ」で商売するなら


「ぷよぷよ」の生みの親である、仁井谷正充さんを雇ってあげればいいのに。


それぐらいの余裕はあるでしょう。


今のセガなら。



今のセガは、Steamで“おま国”するようなメーカーになってしまった。


一番酷いのは、スクエニだけど。


おま国 + 品質の低下 + 過去の遺産


悲しいわ。

2019年12月23日月曜日

時代錯誤

■医学部入試で「年齢差別あった」 男性が順天堂大提訴へ

(朝日新聞デジタル - 12月22日 19:05)

https://www.asahi.com/articles/ASMDN7GF6MDNUTIL05L.html



未だにこんな価値観を持ち続けているとか、時代錯誤にも程がある。


昭和かよ、と突っ込みたくなる。


今は、平成も過ぎ去り令和。21世紀だぞと。


企業の人材採用でも問題なのに、大学で年齢差別とか。



年齢は、変えようと思っても変えることができない。


人種や性別などと同様。


そういった概念を理由に不当な扱いをすることは倫理的に許されることではない。


先進国であるという自覚があるのであれば、今すぐ捨てるべき価値観だと思う。


チャンスというのは、誰にでも平等に与えられなければいけないと思っている。


それを活かせるかどうか、掴めるかどうかが、個人の問題。


チャンスすら与えないというのは、論外だろう。



以下のサイトでも、年齢差別によるリスクなどが書かれている。



『「35歳上限」の中途採用がもたらす恐るべき機会損失 | INOUZTimes』

https://inouz.jp/times/lucentdoors_tensyoku/



日本という国は、本当に年齢に拘りすぎだと思う。


こういった採用問題だけではなく、日常生活においても。


平気で、おっさん・おばさんと呼んだり。


もう何歳なんだからとか、まだ何歳だからとか。


無意識のの差別が、日本では横行している印象。

2019年12月22日日曜日

ダイよりビィト

『ダイの大冒険』来秋28年ぶり完全新作で再びアニメ化 ドラクエ世界観の人気漫画が原作

https://www.oricon.co.jp/news/2151514/full/



「ダイの大冒険」も名作だとは思うけど


個人的には「冒険王 ビィト」の方が好き。


2006年以来、病気療養のため長期休養していたけど


2016年に、10年ぶりに再開。


連載当初から、ずっと読み続けてきたマンガで


今の時代では貴重な、王道の冒険モノ。


再開後も、全く違和感のないクオリティで感心させられた。


今では、マンガは「冒険王 ビィト」しか読んでいない。


アニメは、最後に観たのはいつか思い出せないほど前から観ていない。


最近は、オタク臭いマンガやアニメばかりで


正統派なマンガやアニメが、ほとんどない。


ゲームの方も、「ファイアーエムブレム」が、あんな感じになっちゃったり。


そういったテイストが、個人的に苦手なもんで。



「ダイの大冒険」の再アニメ化に関しては、何よりも心配なのはクオリティ。


作画や声優など、昔のアニメに比べて、今のアニメのクオリティは


お世辞にも高いとは言えない印象。


無個性な声優ばかりで、話題になるのは、ビジュアルやアイドル性。


個人的な意見としては、声優は黒子に徹しろよと思う。


山寺さんのようなマルチに活躍できる人間なんて、ほとんどいないはず。


まず、本業をしっかりしてほしい。



肝心の声優は、亡くなっている方が多い。


そもそも、主人公のダイの声優だった藤田淑子さんが亡くなっている。


あの声じゃないという時点で、かなり不安。


問題は声優だけではない。


再アニメ化で成功した例を、自分はほとんど知らない。


ドラゴンボールも、最低記録を塗り替えるほど、最悪だったようだし。


そもそも、ドラゴンボールは、個人的にピッコロ編までしか好きではない。


なので、再アニメ化云々以前に、「Z」以降のアニメ自体が好きではない。


鳥山さんはギャグの人だと思っているので


シリアスな格闘漫画になった時点で、本領が発揮できていない。



そういった不安要素を全て払拭できたら、素晴らしいと思うけど


実際は、かなり難しいだろうね。


昔の「ダイの大冒険」を観ていた方が楽しめる気がする。


と言うか、「冒険王 ビィト」の再アニメ化の方が、個人的は待ち遠しい。


今は連載スピードがゆっくりだから難しいだろうけど


いつか、また続きをやってほしい。

2019年12月5日木曜日

全面的に支持

「ミス/ミスターコンテストは一切容認されない」 法政大学が「ミスター法政」について声明を発表

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/02/news090.html



まず最初に結論。


なぜ、ダメなのか。


その答えは、評価軸が“容姿”のみ、もしくは“容姿”がベースになっているから。


ダイバーシティ(多様性)を尊重するということは、多様な評価軸で判断すること。


そういった要素がないため、ダメ。


そして、“容姿”というのは先天的なもの


生まれ持ったもので、後から大きく変えることは容易ではない。


身長や、顔のパーツなどは、整形でもしない限り、生まれ持ったままの状態。


つまり、容姿が整っているとされている人は、単に運が良かっただけ。


そういった要素に、優劣をつけるのは倫理的に問題がある。


美しく見せる技術は、生まれ持ったものではなく、努力して得たもので実力だ


と言う人もいるが、そんなのものは+αに過ぎない。


第一、そんなに自信があるのであれば、学外のもっと大きなコンテストに挑戦するべき。


それこそ、ミス・ユニバースとか。


学内でのコンテストなど、何の意味もないと個人的には思う。



レイシズム(人種)、セクシャリズム(性)、エイジズム(年齢)、ルッキズム(容姿)など


差別的な価値観を助長するものだと思う。


実際、近年そういった価値観に傾きつつあるように思える。


人を見たとき、まず容姿。


そんな人間が多くなっているような気がする。


YouTubeのコメントなどを見ても、容姿の話が多いこと。


例えば、ZARDは歌手なのにもかかわらず


動画に投稿されているコメントは、大体容姿に関するもの。


それ以外にも


顔だけではなく、身長やスタイルなどの体形、髪型、化粧なども。



一言で差別と言っても様々で


今回問題になっているのは、ルッキズム。


容姿というのは、基本的には生まれ持ったもの。


容易に変えることは不可能。


では、容易に変えることができるものであれば差別は許されるのか。


もしくは、差別とは言わないのかと言えば、そうではないと思う。


例えば、学歴、職業、収入、住所などは、変えることができる。


では、その特定のカテゴリに属する人間が差別されていることに対し


「差別されたくなければ、変えればいい」


という理屈が、果たして成立するのか。


自分はしないと思っている。


特定のカテゴリに属しているだけで差別されるのは、やはりおかしい。



今回の件は、法政大学はダイバーシティを重視した結果だが


このコンテストは、人格ではなく容姿という評価軸をベースに行われるイベントで


ダイバーシティとは相反するだろうということ。


それを否定したいのであれば


従来の、容姿の整った人間といったイメージからかけ離れた候補者が


グランプリに選ばれたという実績が必要なのではないかと思う。


そういった実績があれば、必ずしも容姿の整った人間が有利というわけではないことが


証明できるし、評価軸が容姿のみではなく、多様なものであると証明できる。


しかし、実際のところ、それはほぼ無理だろう。


なぜなら、この手のコンテストの評価軸は、容姿がベースになっていることは明らか。


従来の、容姿の整った人間といったイメージの候補者がグランプリに選ばれなかったら


「この顔でグランプリ?」


と言う人間は必ず出てくる。


と言うか、実際にそういったコメントをたくさん見てきた。



では、評価軸が多様であるというのはどういうことなのか。


個人的に、ゲームに例えると分かりやすいと思っている。


ゲームとして優れている作品は、一体何で決まるのか。


それは、一言で表すのは不可能だろう。


これは、あくまで個人的な考えだが


自分の、ゲームの評価軸は以下の通り。



■ キャラクター


■ ストーリー


■ 世界観



■ インターフェース


■ 演出


■ キャラクターデザイン


■ グラフィック


■ モーション


■ レベルデザイン



■ SE


■ 音楽


■ 声



■ AI


■ カメラ


■ ゲームバランス


■ システム


■ 自由度


■ スピード感


■ 操作性


■ テンポ感


■ 難易度


■ パフォーマンス


■ ボリューム


■ やりこみ要素


■ ユーザビリティー


■ リプレイ性



自分は、上記の26個の評価軸から、総合的に判断している。


これこそ、多様な評価軸ということだと思う。


今回の件で言えば、容姿に近い評価軸は、恐らくグラフィックだろうが


グラフィックの美しいゲームであれば、本当に優れたゲームと言えるのか?


自分は、そうは思わない。


人間も同様で、容姿というたった一つの評価軸で


一人の人間を評価すること自体が問題だと思う。


容姿を肯定すること自体は良いじゃないかというコメントもあったが


特定の容姿が肯定されるということは、それに相反する容姿は否定されるということ。


実際、そのようにして勝ち残っていくものだ。


容姿というたった一つの評価軸で。



この件に関するコメントで、試験や競技などと同列に語っている人間がいるが


全く別物であり、同列に語るべきではないと思う。


試験や競技は、競争であり、勝ち抜くために努力した後


さらに運が良くなければ勝つことはできない。


今回のコンテストが、そういったものと比較されるのはおかしい。


こんなコンテストよりも


より社会貢献した学生を選出するコンテストの方が、ずっと良いんじゃないかと思う。


学生時代に、どれだけボランティアなどの社会奉仕活動をしてきたかという。


ただでさえ、日本は社会奉仕活動に対して、欧米の先進国と比べて消極的だし


近年は、自己責任論者が増えてきたわけだし。



個人的な意見として言わせてもらえば


容姿が優れているとか、胸が豊かであるとか、身長が高いとか


そういった価値観は、非常に動物的な価値観だと思っている。


進歩的な価値観とはかけ離れた、原始的な価値観だと思ってしまう。


動物も、容姿などで交配する相手を選ぶという。


何も変わらないではないかと思う。


いい加減“進歩”するべきだと思う。