2015年8月23日日曜日

森山愛子

以前、「王様のブランチ」に出演していた演歌歌手、“愛コブッシー”こと森山愛子さんについて。


当時から「王様のブランチ」を観ていたから、この人のことは以前から知っていたんだけど


改めて、この人の歌っている動画を観て衝撃を受けた。



まずは、この動画から。


新たに発見したものではなく、以前から知っている動画なんだけど


「USA for Africa」にも参加し、80’sスーパースターであるシンディー・ローパーを前にしても


堂々と歌う森山愛子さんが凄い。


何よりも、圧倒的な歌唱力。


声量といい、声色といい、子節といい、表現力といい、非の打ち所が見つけられない。


自分は、美空ひばりも大好きでよく聴く人間なんだけど


例え、彼女と比較したとしても、かなりのレベルだと思う。



その他にも、いくつか。


今の時代、自分と同世代以下で、これほど上手い歌手がいることに感動した。


以前から知っていたけど、これほど上手かったとは・・・。


日本の音楽界の宝だと思う。

2015年8月18日火曜日

クリエイティビティ

「働きたくない若者3割」支持の声




以前から書いてきたことだけど、「クリエイティビティ」というモノが何よりも重要。


仕事だけではなくて、趣味などにおいても。


人間の歴史はクリエイティブの歴史と言っても過言ではないわけで。


クリエイティビティの無い仕事は、機械に奪われていくことは間違いないと思う。



形の見えるモノだけがクリエイティブだとは限らなくて


ちょっとしたアイディアでも、何でもいい。


iPhoneのようなイノベーションのみをクリエイティブと呼ぶわけではない。



自分のアイディアが採用されれば、人は喜ぶ。


それを評価されれば自信になる。


そういった流れを、職場内で作るべき。


決められた人だけで何もかも決めるのではなくて


その組織に関わる全ての人から、アイディアを募ればいい。


アイディア採用の報酬は、給料アップやボーナスでなくてもいい。


職場の人たちの前で、責任者が表彰して称えてやるだけでもいい。


それだけでも、その人は喜ぶし、自信になる。



クリエイティビティを発揮できない人はいない。


生きている限り、何らかのクリエイティビティを発揮しているはずだからだ。


それに気づいていないだけ。


それに気づかせるためには、日本の教育を変えたほうがいい。


知識の豊富さや、試験の点数だけではなくて


正解の無い問題に対してアイディアを出せる人間を育てるべき。


正解は無いのだから、間違いも無い。


重要なのは否定しないこと。


否定すると、視野や発想の幅を狭めることになる。



クリエイティビティは、全ての人間が持っている才能だ。

教育レベルの低下

「空欄埋めて書く」感想文テンプレ




まず、模倣云々言っている人が記事で紹介されているけど、読書感想文だよ?


“小説”や“小論文”を書けと言われているわけではなくて


“読書感想文”を書けと言われているだけ。


大袈裟に捉え過ぎている気がする。


感想文なんだから、こう書かないとダメなんていう決まりは無いはず。


思うがままに書けばいい。


特に書くことが無いのなら、それでも良いんじゃないか。


ただ、感想文だから、その理由もしっかり書く必要はある。


自分の感想も他人頼みでは、一体その人間のアイデンティティは


どうやって構築されていくというのか。


恐らく、「こう書かなければならない」といった


形式に、こだわり過ぎているからこそ、苦労する人が多いんだろうね。


「自分の感じたことを自由な書き方で書く」という目的も


読書感想文という課題には持たせた方が良いんじゃないかな。



“たかが”という言い方は良くないかもしれないけど


たかが読書感想文で、“模倣”や“オリジナリティ”という言葉が出てくること自体


自分としてはビックリしてしまう。



>いきなり読書感想文を書けって言われても苦痛でしか無かった


それが、この人の適性であり、能力だということ。


自分の得手不得手を知ることも、とても重要なこと。


それで成績が悪くても、問題無いでしょう。


そこから、自分の方向性や得意分野を見出していくのだから。



>テンプレから入って繰り返し自分の物(独自性)に向けるのが勉強

>勉強とは人真似


確かに、創作は模倣から始まるもの。


手塚治虫も、ディズニーの模倣から始めたワケだし


鳥山明や他の漫画家たちも、そうだった。


しかし、繰り返すことになるけど、これは読書感想文なんだよ。


ただの感想。


「さっき観たテレビ番組面白かったね~」レベルのことなんだよ。


それをテンプレに頼るってどういうこと?


英語なら分かるけど、母国語の日本語だよ?


日本の教育は、英語だけではなくて日本語まで不自由にさせる気なのか。



>『文章の組み立て方の基本』を教える


それを学ぶ手段が読書なんじゃないか。


本を読んだのに、文章の書き方が分からないって、意味が分からないよ。



またまた繰り返すけど、文章の書き方なんて気にする必要ないんだよ。


感じたままに、ただ書けば良いんだって。


何も感じなかったのなら、それはちゃんと読んでいないか、想像力や感受性が乏しいせい。


そういう人ほど、読書が必要なはずなんだけど。



最近の日本の教育の方向性は、少しおかしい気がする。


例えば、国は「スーパーグローバル大学」なんて事業を創設したにもかかわらず


国立大学の文系学部を廃止しようとしていたり、明らかに矛盾している。


そんなことをしたら、教養の無い“理系バカ”が大量に生まれ


ますます、世界の優秀な学生たちに遅れをとることになるのでは。



まだ“リベラルアーツ”の重要性に気づいていないのか。


ハーバードやMITでも、リベラルアーツに力を入れているというのに。


ますます、日本の大学の存在意義が失われていくような気がしてならない。


もちろん、“学び”は学校でしかできないものではないし


ネットが充実している現在なら、“独学”という手段で教養を身に付けることは十分可能。


しかし、大学の授業を受け、さらに独学までするような向上心の高い学生は


一体どれほどいるというのか。


それができるのであれば、そもそも大学へ行く必要は無いのではないか。



そもそも、以前から書いてきたことだけど


文系学部、理系学部という分け方を、そろそろ止めた方が良いと思う。


ICUのように、学部を教養学部に一本化して


幅広い学問を自由に学べるような環境作りをするべきだと思う。


ちなみにハーバードも、ICUと同様、教養学部のみ。



そういった環境で、軽い気持ちで様々な学問に触れて教養を身に付け


自分の適性を知り、専門性を高めていくべきかと。


“学ぶ”ということは、本当は苦痛を伴うものではなくて


日々の成長を感じることが出来る、とても楽しく刺激的なモノのはず。


それは、驚きと発見の連続。


誰かに強制されるものではなくて、自ら好奇心を抱いて自発的に学ぶもの。



文系学問の存在意義が分からない人は、↓で紹介している記事を読めば


いくらか理解を深めることが出来ると思う。



『MITが「学部では最先端なんて教えない」理由:日経ビジネスオンライン』

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130227/244292


『MITは「理系バカ」が役に立たないと知っている:日経ビジネスオンライン』

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130305/244525


『【伊藤穰一氏×牧野正幸氏 “未来のIT”対談】文系理系に分けるのはNG!日本の教育に物申す - リクナビNEXTジャーナル』

http://next.rikunabi.com/journal/entry/20141020


『日本人の的外れな「リベラルアーツ論」  日本の教育では、「本物の日本人」は生まれない  東洋経済オンライン  新世代リーダーのためのビジネスサイト』

http://toyokeizai.net/articles/-/13697


『本物のリベラルアーツを日本人は知らない  日本の教育では、「本物の日本人」は生まれない  東洋経済オンライン  新世代リーダーのためのビジネスサイト』

http://toyokeizai.net/articles/-/13769