2019年2月14日木曜日

人の不幸を願い、喜ぶ日本人

ベッキー、巨人の片岡治大コーチとの結婚を発表「しっかりと歩んでいきます」昨年5月から交際

https://www.oricon.co.jp/news/2129455/



未だに、あーだこーだ言っている人間がいることに呆れを通り越して、戦慄する。


一種の病気なんだろうと思っている。


ネットが普及し始めて、そういう人間が増えた。


全く無関係の人間が、特定個人を誹謗中傷する行為。


本人は正義感からの行動だと思い込んでおり、同時に自分の言動は正しいと思い込んでいる。


そういう人間が、ネット上には大勢いて、匿名なのをいいことに、好き放題。


それを受けて、対象の人間が疲弊し、憔悴している様子を見て喜ぶ。


「ざまあみろ」と。


メシウマというやつですね。



最近特に多いのは


「相手が何か悪いことをしたのだから、何をされても文句を言うな。」


というスタンスの人間。


誹謗中傷されたくなければ、最初から悪いことをしなければいい。


そういう理屈らしい。


一見、もっともらしく見えるが、実際は詭弁以外の何物でもない。


自身の特定個人への誹謗中傷を、理由をつけて正当化しているだけ。


こういった行為をしている人間は、日常的に相手の弱みを探していて


見つけては誹謗中傷。


反論されたら、上で書いた正当化するための文句を言う。



他人に厳しいということは、自分の首を絞めていることと同じことだということを自覚すべき。


世間は冷たいとか、社会は厳しいとか言っているが


その元凶は、そういった他人に厳しい人間たち。


お互いがお互いを苦しめあっている。


まさに、首の絞め合い。



人間は機械じゃない。


失敗をする。


そして学習、成長できる。


そのチャンスを与えないのは、不健全だと思う。


理屈の上では正しくても、人間というものを理解していないと、トラブルの元になる。


自分は、“正しいことよりも大切なことがある”と思っている。


寛容であるということは、どういうことなのか。


もう一度、よく考えてみるべき。


情けは人の為ならず。


心にゆとりを持ちましょう。


慈しみの心を忘れるべきではない。


全て、いずれ自分に返ってくることになる。