率直に言わせてもらうと、自分は断固反対。
その理由は、故人で商売をしているから。
クリエイターとは、常に新しいものを生み出す存在。
それなのに、過去の何かや誰かを使うことで
何かを生み出した気になるのは勘違いだと思う。
自分も、クリエイターの端くれだけど
新しいものを生み出せなくなったら、クリエイターとして終わりだと思っている。
最近のエンターテインメント界隈を見ていると
本当に、その傾向が強い。
過去のシリーズの続編や、リメイク、実写化、同じカテゴリの作品ばかり。
ディズニーも、過去の作品の実写化を連発している。
日本のドラマも、過去のドラマのリブートが多い。
ゲームは、かなり前から続編やリメイクが多いと言われている。
アニメも、リメイクやリブートが多くなってきている。
このプロジェクトを擁護する意見の中に
もし美空ひばりさんが生きていたら肯定するだろう
というものがあったけど
自分は、そんなのは関係ないと思っている。
と言うか、故人なんだから、そんなことは分かるわけがない。
生きている人間の勝手な想像、というより妄想に近い。
人の気持ちを勝手に決めつけるなということ。
死人に口なし。
感動する人がいる、喜んだ人がいる。だから良いじゃないか。
といった意見もあった。
こういう意見が一番危険だと思う。
感情論に流されて、冷静な判断ができていない。
感情的に良いと感じたら良いんだ、みたいな。
動物的な思考。
個人的には、「ジュラシックパーク」を思い出せと言いたい。
作中で、絶滅した古代生物である恐竜を
現代科学で復活させるプロジェクトに対して
マルコム博士は
「自然への謙虚さの欠如には眩暈がする」
「おもちゃのように振り回している」
「科学力ってやつの問題点は。その気になれば誰でも使えるってことだ」
「あんたらは、他人が書いたものを読んで先へ進んだだけだ」
「自力で得た知識じゃないから、それに対する責任感もゼロだ」
「天才たちの肩に乗っかって
何を作っているのか認識もせずに、ただ完成を急いだ」
「ただ特許を取って、きれいに包装しプラスチックの弁当箱にペタンと張り付けて
それをガンガン売りつけるだけだ。」
ハモンド博士は
「少しは褒めてくれても、いいんじゃないか?」
「我々は誰にも、できなかったことを成し遂げたんだぞ」
マルコム博士は
「できるかどうかってことに心を奪われて、すべきかどうかは考えなかった」
ハモンド博士は
「何という反進歩的な態度だ。とても科学者とは思えんよ」
「発見の糸口を掴みながら、何の行動も起こさずにいるなんてことができるのかね」
マルコム博士は
「発見の、どこがそんなに偉いんだ。」
「あんたがやってんのは、探求の対象をいたずらに傷つけるだけの言わば
自然界へのレイプだよ」
と発言した。
今回のプロジェクトも同じだと思う。
実際、このプロジェクトも、エンターテインメントという位置づけだ。
人を喜ばせたり、驚かせたり、感動させたりすることを目的としている。
「ジュラシックパーク」でも、ハモンド博士は
純粋に、人に驚いたり、喜んだり、楽しんでほしかったと語っている。
「原作レイプ」という言葉も存在する。
今回のプロジェクトは、言ってしまえば
既に亡くなった美空ひばりという人間を
科学力を使って弄んでおもちゃにしただけの、美空ひばりへのレイプでしかない。
そんなことをしておいて
すごい技術だろう?とか言っているのは、正気とは思えない。
あまりにも盲目的すぎる。
NHKで特集番組があったが、正当化するために必死と言うか
肯定派ばかり出演させていた。
そもそも、論点を間違えている気がする。
生命がどうとか、倫理がどうとかではない。
それ以前の問題として
冒頭でも書いたが
自分は、故人や過去の遺物を使って商売することに反対している。
最近も、AIに描かせたマンガを手塚治虫のマンガだと言い張っている連中がいる。
個人的には、あれもアウト。
最近は、AIによる芸術が注目されているが
個人的に言わせてもらえば、そんなものに価値なんて無いと断言する。
いくらすごい技術で、人間にはできない芸当であっても
人間が生み出したものではない時点で、何の価値も感じられない。
芸術というのは
それを生み出した人間の、これまでの人生経験が詰まっているから素晴らしいんだ。
様々な思想、価値観、感性、センス、癖、メッセージ
苦悩、葛藤、挫折、絶望、憎しみ、喜び、悲しみ、情愛などが
バックグラウンドとして存在するから価値がある。
一人の人間の人生から生み出されたものだから価値がある。
だから感動する。
教養が無く、知識や技術だけを崇拝するような人間が
今回のようなプロジェクトを計画、実行しているのではないかと疑っている。
知識や技術を万能視し、まるで神にでもなったつもりの人間。
科学の力で何でもできると思い込んでいる人間。
すごいものを生み出したと勘違いしている人間。
マリオシリーズやゼルダシリーズを生み出してきた
任天堂の宮本茂さんも、最近インタビューで以下のようなことを語っていた。
「クリエーターと呼んでいいのは神様だけ。誰もクリエイションしてない。
みんなエディットをしている。僕もエディター」
『任天堂宮本茂さんインタビューその2「マリオ新作は新しい技術が現れたら」「クリエーターと呼んでいいのは神様だけ」 | ゲームよりどりサブカルみどりパーク』
http://ryokutya2089.com/archives/29201
このインタビューは、「週刊ファミ通 2020年3月19日号」かららしい。
話は変わるが、過去にNHKのBS1で放送された
「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」
という番組で
原爆は科学者たちの意思によって生み出されたものだったと明かされている。
科学者たちが、自ら望んで生み出したもので
完成した際には、強い達成感を覚えたという。
それを生み出し、使うことで、どうなるかも考えずに。
『NHKドキュメンタリー - BS1スペシャル▽“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇』
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2409343/index.html
今回のプロジェクトに関して
山下達郎さんのコメントが以下の記事に掲載されている。
『山下達郎 紅白登場の「AI美空ひばり」をバッサリ「一言で申し上げると、冒とくです」― スポニチ Sponichi Annex 芸能』
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/01/19/kiji/20200119s00041000327000c.html
自分も、山下達郎さんと、まったく同意見。
個人的な意見だが
こういったものを肯定する人は
自分で何かを生み出した経験が無い人なのではないかと思う。
その経験がある人なら、何かを生み出すことの大変さや楽しさ
そして、素晴らしさや、それに伴う責任について、よく知っているはずだ。
スマホが普及している現代では
PCに触れる人が激減し、Windows95が発売された時か、それ以前のように
PCの使い方を知らない、分からない人間が多いらしい。
スマホは、何かを生み出すツールではなく、何かを消費するツールだ。
何かを生み出す人間もいるが、圧倒的大多数は、そうではない。
アプリ、ゲーム、ネット、YouTubeなど
そういったものに、ひたすら時間を費やし続ける人間が多くなった。
個人的な意見として
人間は、何かを生み出してこそ人間であると思っている。
そうやって、人間は文化、文明を築いてきたし、時代を歩んできた。
自分は何も作らない。誰かが作って当たり前。
無料で当たり前。ちゃんとしていて当たり前。
そのくせ、何かあると、すぐ文句を言う。言葉を選ばない。
分からないことは自分で調べず他人に聞く。
そういう環境に、なりつつある気がする。
今回のようなプロジェクトを盲目的に肯定している人間の多いこと。
今回のプロジェクトだけではなく
冒頭でも書いたような
過去のシリーズの続編や、リメイク、実写化、同じカテゴリの作品などに対して
肯定的であり、盲目的に喜んでいる人間。
個人的には
もはや、飼いならされてエサを与えられて喜んでいるだけの
家畜同然の存在なのではないかとさえ思えてしまう。